(3)御神井→祖霊社 |
(5)奥宮 |
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● 廣島東照宮 御祭神 徳川家康公 家康公は、天文11年(1542)12月26日、三河国(愛知県)岡崎城で誕生されました。 当時は戦国時代で、幼少から大変苦労されましたが、よく困難に耐え、時節の到来を待ち、関ヶ 原の戦いに勝利。 天下統一を成し遂げられました。 混乱の世に新たな秩序をつくり、学問をすすめ、産業を興し、生活の安定を図り、江戸時代260 余年にわたる平和と文化の礎を確立され、近世日本の発展に偉大な寄与をされました。 元和2年(1616)4月17日、75才をもって駿府城で薨去されました。 御遺訓は家康公の体験による処世の秘訣を示しており、今日においても一段と深い意義を有し ています。 御由緒 徳川家康公薨去後33年回忌に当る慶安元年(1648)、当時の広島藩主浅野光晟公(浅野家第 四代)は、広島東照宮を、広島城の鬼門(東北)の方向に当たる二葉山の山麓に造営しました。 光晟公の生母は、家康公の第三女、振姫(ふりひめ)であったことから、祖父家康公の御遺徳を 敬慕すると共に、城下町の平和を願って神霊を祀まつりました。 歴代藩主、社領三百石を付し、広島周辺の崇敬を集め、春秋の祭礼の外、家康公薨去後50年 に当る寛文5年(1666)以後は、五十年毎に盛大な祭典が行われました。 社殿は、「二葉山山麓に位置し、観望の美麗なるは、毛利氏広島に築城以来、第一のもの」と 云われましたが、昭和20年8月6日の原子爆弾の熱風により、桧皮葺神殿、中門、瑞垣、拝殿 は焼失しました。 現在の社殿は、昭和40年4月、家康公薨去後350年祭を記念して再建されました。 ● 金光稲荷神社 御祭神 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ・稲荷大神) 御由緒 今から約300年以上前、元禄の頃よりこの二葉山山頂に祀られた、東照宮の境内社です。 商売繁盛、家内平安等、諸願成就の大神として、金光稲荷大神と称えられてきました。 山頂の奥宮までの階段約500段、朱塗鳥居120数基、毎月1日・15日には、広島一円から多数 の参詣者があります。 * (奥宮) ● 案内コース (1) 石鳥居−→原爆慰霊碑−→原爆65周年追憶碑−→唐門−→翼廊−→ −→楓樹−→東照宮手水舎−→東照宮御供所−→社務所−→参集殿 (2) 拝殿−→本殿−→ふくろう−→本地堂→広島みこし行列「通り御祭礼」復元記念→ −→東照宮ジャンボ釜の由来−→大神輿−→自動車お祓所 (3) 御産稲荷社−→亥の子石−→古い守札入れ−→福禄寿−→ −→御神水−→御神井−→祖霊社−→道具蔵 (4) 金光稲荷神社−→御山奥宮遙拝所−→東照宮公遺訓−→神輿舎−→ →東照宮公遺訓−→御産稲荷社−→出世稲荷社−→東照宮公遺訓→玉成稲荷社 (5) 三狐呂稲荷−→玉秀稲荷−→東照宮公遺訓−→東照宮公遺訓−→ −→高彦稲荷社−→賤機山古墳−→奥宮 * (右画像/駐車場 広島東照宮HPからお借りしました) * (右画像/広島東照宮HPからお借りしました) (アクセス) ● 徒歩の場合・・・JR広島駅新幹線口より徒歩8分 ● バスの場合・・・東照宮入口下車 徒歩6分 ● 車の場合・・・・・山陽自動車道 広島IC又は広島東ICから 20分 駐車場・・・境内横の坂道を登り、左手に入り、社殿横に駐車 ● 近くの広島城・縮景園 また日光東照宮・久能山東照宮・上野東照宮は別途記載しています ● (広島東照宮HPを参考にしました) (画像をクリックすると大きくなります) ● (ホームへ) ● |