(3)御神井→祖霊社

                        


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  ● 御産稲荷社(おさんいなりしゃ)
       御祭神の徳川家康公は、寅年の天文11年(1542年)の寅の日、寅の刻に三河の国(愛知県)岡崎城
       で、お生まれになりました。
       母、於大(おだい)の方は、家康公を身ごもられた時、無事に生まれて立派な武将になれますように
       と、薬師如来へ祈願されたそうです。
       そのことから、東照宮にお参りすると、安産のご利益があると言われるようになりました。
       当宮の御産稲荷社は「お産さん」とも呼ばれ、安産を祈って多くの絵馬と幟が奉納されています。

                  


  ● 「亥の子石」(撫でて下さい)
       亥(いのしし)は多産・安産で豊作・繁盛のシンボルです。
       江戸時代から城下町の亥の子祭では
          「亥の子 亥の子 亥の子餅ついて繁盛せい 繁盛せい」  とはやしました。

                                


  ● 古い守札入れ

                              


  ● 福禄寿(ふくろくじゅ)
       福禄寿は、円満な人格、誰からも信頼され、尊敬される徳を与えて下さいます。
       長い頭は冷静に慎重に物事を考えて行動することを表しており、福は幸福、禄は高禄、寿は長寿、
       この三徳を兼ね備えた神様です。
          仰ぎみる その御頭の 長きこと 延寿の徳を 与えまします

                                     


  ● 御神水
       鎮守の杜のお宮が、神霊の籠る場所に相応しい水源地に多く祭られているのは、生命の源の水を
       神々が司られ、人々がその水を農耕、飲料水として恵んで頂くという姿を示すものといわれています
       当宮の境内山林(二葉山の南面の約1万坪)が、今でも絶え間なく大気を浄化する、日本一の「しり
       ぶかがじ」群生の樹林帯に覆われているのは、地中深く伏流水を蓄えて、地上を潤し続けて居るか
       らであります。
       この井戸は江戸時代の初め、慶安元年(1648)今から約350余年前、東照宮創建と共に古く、古書
       にも、東宮東脇の風呂の谷の井戸が旱魃にも枯れなかったので、大阪の"亀の井"にも擬せられ
       "亀井の水"と呼ばれたとあるように、夏場でも湧き水があり、正に神井と呼ぶに相応しいものであ
       ります。
       また、二葉山の湧き水は名水として縮景園に運ばれ飲用飲用された記録もあります。
       当宮の祭典には、この水を神饌に用いてきた伝統があり、毎朝の神前にたてまつっていることは勿
       論神聖なる力を備えた霊水として、崇拝され、水無月と大晦日の大祓には、この水を当宮大釜で焚
       き湯祓神事として城下町の平安を祈って来ました。
       その外春秋の例祭の茶会、元旦の大釜ぞうにや七草粥、さらには病気平癒、健康増進、調理、コー
       ヒー用に至るまでの神徳を人々に授けています。
       また、若水とは、元旦の早朝に奉献せし御神水にして、これを拝戴すれば邪気を祓って明朗快活延
       命長寿を保つと伝えられています。                社務所
  ● 御神井(ごしんせい)
       古書に曰く。
       東照宮山の東脇を俗に風呂の谷山といい、常に水が湧き、干ばつにも絶えなかった。
       これは、大阪の「亀の井」によく似ていることから、人は「亀井の水」と呼びました。

                             


  ● 祖霊社
       祭神 天之御中主大神  例祭 3月21日 9月23日

                  


  ● 道具蔵

                              



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