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<< 南門−→海岸門−→蓮華院−→石棺−→春草廬−→ −→藤棚−→聴秋閣−→天授院−→金毛窟−→月華殿 >> ● 南門 ● 戻っていくと分岐になり、左折して海岸門方面へ 標識( ←海岸門・内苑(裏門入口) ↑内苑・中央広場 ) * (海岸門方面) ● 海岸門 ● 蓮華院方面へ ● 蓮華院 この建物は、原三溪が大正6年(1917)に建てたもので、六畳と二畳中板の茶室があります。 土間と壁には宇治平等院鳳凰堂に使われていた太い円柱と格子があります。 ● 春草廬方面へ ● 石棺 手前 家形石棺身 奈良海竜王寺付近出土(5〜6世紀) 左奥 舟形石棺蓋 奈良法華寺付近出土(3〜4世紀) ● 春草廬(しゅんそうろ 重要文化財) この建物は、もと京都本山修験宗の三室戸寺金蔵院(みむろとじこんぞういん)にあった月華殿(げっか でん)に付属して建てられていた茶室です。 三溪園には大正7年(1918)月華殿と共に移築されました。 窓が九つあるため九窓亭と呼ばれていました。 * (伽藍石 伝 東大寺礎石) ● 藤棚 ● 聴秋閣へ向かいます。 ● 聴秋閣(ちょうしゅうかく 重要文化財) この建物はもと三笠閣と呼ばれ、元和9年(1623)3代将軍徳川家光が上洛に際し、佐久間将監(しょう げん)に命じて京都二条城内につくらせたものといわれています。 その後これを春日局(かずがのつぼね)に賜わり、江戸稲葉侯邸内に移され、三溪園には大正11年 (1922)に移築されました。 ● 天授院へ向かいます。 * (左側に水が流れています) ● 天授院(てんじゅいん 重要文化財) この建物は、もと鎌倉心平寺(建長寺塔頭/たっちゅう)の地蔵堂といわれています。 天正5年(1916)に山溪園に移築され、原家ではこれを持仏堂として使っていました。 昭和39年に解体修理を行い、その際慶安4年(1651)の墨書が発見され建立の年が明らかとなりました ● 金毛窟(きんもうくつ) この建物は、原三溪が大正7年(1918)に建てた一畳台目の茶室です。 千利休が修造した京都大徳寺三門(金毛窟)の高欄の手すりをこの茶室の床柱に使っています。 扁額は明治の数寄者・三井の益田鈍翁(ますだどんのう)の書です。 ● 月華殿(げっかでん 重要文化財) この建物は、徳川家康が慶長8年(1603)京都伏見城内に建て、諸大名伺候の際の控室に当てたもの と伝えられています。 その後京都本山修験宗の三室戸寺金蔵院(みむろとじこんぞういん)に移され、大正7年(1918)に三溪 園に移築されました。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |