<<駐車場−→犬山神社−→三光稲荷神社・猿田彦神社−→矢耒門−→松の丸門 −→黒門−→針綱神社−→鈴木玄道顕彰碑−→内外一誠(石碑)−→入場券販売所>> ● 犬山市観光駐車場(キャッスルパーキング)に駐車。 駐車場脇に、「犬山神社」があります。 犬山神社 (別途記載) 国宝犬山城の初代城主、成瀬正成公より歴代の城主の御霊が、お祀りしてあり、犬山城とは 深い拘わりのある御社です。 また明治以降の大戦に於て、国の為に尊い命を犠牲にされた戦没者の御霊も合祀されてい ます。 * (犬山市観光駐車場)・・・(大山神社) ● 道路を挟んで、犬山城入口があります。 ● 犬山城入口の脇に下山順一郎胸像がたっています。 下山順一郎は、嘉永6年(1853)成瀬家の家臣下山健治の長男として、犬山北宿(御幸町)に生まれ た。幼少のころは敬道館に学んだ。 明治3年(1870)貢進生(政府の奨学生)として上京し大学南校に入学、三年後薬学を学ぶため大学 東校(東京大学医学部製薬学科と改称)へ転校、同11年首席で卒業し母校の助手を務め、翌年助 教授となった。 同16年より3年間ドイツへ留学、生薬学を研修した。 3年間ドイツへ留学、生薬学を研修した。 特に「キニーネの定量法の研究」は有名である。 帰国後は東京医科大学教授、同26年アメリカ、フィラデルフィア薬学大学の名誉教授に選ばれた 同32年には薬学博士の学位を授与された。 我が国、薬学博士の第1号である。 さらに、同35年政府から西欧国の視察を命じられ、同37年帰国し、2年後には半生の心血を注いだ 「日本薬局方註解」を著し、その後も薬学の指導と研究に努めた。 明治45年(1912)没。享年60歳 ● 朱色の橋を渡ると、右側は「猿田彦神社」、緩い坂道を上っていきます。 猿田彦神社(別途記載) 建築、方位除け、災難除け、開運、事業発展、五穀豊穣、大漁満足、家内安全、交通安全、海 上安全など、古来多くの御神徳でも知られています。 * (猿田彦神社) ● その先右側に、「三光稲荷神社」の入口があります。 三光稲荷神社(別途記載) 犬山城主成瀬家歴代の守護神として天下泰平、五穀豊穣、商売繁盛、交通安全の祈願を 籠め数々の神宝を寄進。 福徳、開運厄除、所願成就の御神徳を仰ぎ全国からの参拝客で益々賑わっています。 ● 矢耒門 この位置に矢耒門という門がり、現在門礎の一部が残っています。 ● 松の丸門 登城道から矢来門を通過し、天守閣又は松の丸御殿に通じる松の丸門がこの位置にありました。 ● 黒門 この位置に黒門と言う門がり、現在門礎が一つ残っております。 ● 右側に、「針綱神社」があります。 針綱神社(別途記載) 東海鎮護、水産拓殖、五穀 豊饒、厄除、安産、長命の神として古来より神威顕著にして士農 工商の崇敬殊に厚く白山大明神と称えられ濃尾の総鎮守でした。 ● 鈴木玄道顕彰碑 鈴木家12代玄道は、成瀬家御典医。 藩校敬道館で儒学の教授も兼任した。 一般の町民からも腕をかわれ、慕われていたようで、没後この碑が建立された。 「記念碑」の題字は9代成瀬政肥公が揮毫した。 ● 内外一誠(石碑) 犬山藩士八木雕(あきら)は、幕末の動乱期に第九代成瀬正肥(まさみつ)のもと、国事にかかわり 尾張藩主徳川慶勝の救出、長州戦争の無血和睦、官軍の参謀を務めたり、また明治政府でも大 いに働いた。 その功績を顕彰したもの。 ● 入場券販売所があります。 入場料: 大人500円 小・中学生100円 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |