(1)本丸跡コース 1

           



   



                   御主殿へは徒歩約15分、山頂の要害地区へは徒歩約40分


                          (画像をクリックすると、大きくなります)

  

   << 鳥居−→分岐(新道と旧道)−→新道方面−→鳥居−→金子丸−→五合目の石柱−→

           −→七合目の石柱−→柵門跡(八合目)−→九合目の石柱・宮標石−→本丸跡方面へ >>


  ● ”八王子城跡”入り口を入らず右側に進みます。

                  



                          


  ● 鳥居をくぐり、登っていきます。
       標識(←八王子神社 0.8km  霊園前・八王子城跡入口バス停 1.4km)

                          



  ● すぐ、新道と旧道の分岐です。(旧道は少し荒れていますが、8合目で合流します)

                  



                  



  ● 新道へ行くと、すぐ右側に鳥居がたっています。
     そのまま直進して下っていくと通行止めに。

                  



  ● 鳥居をくぐり登っていきます。

                  



  ● 木の根や石の階段をが続きます。

                          



  ● 階段をのぼると、「金子丸」で、ベンチもあります。
      金子丸
       金子三郎衛門家重が守備した曲輪で、金子丸とよばれています。
       尾根をひな壇状に造成し敵の侵入を防ぐ工夫がされ、氏照時代は石段はありませんでしたが、ここを
       通らないと山頂へはいけなかったそうです。
         コラム 八王子城の攻防
            八王子城の戦いは、わずか1日で決着しましたが、とても激しい戦いでした。
            天正18年(1590)6月23日、豊臣側の前田利家軍は城の大手側、上杉景勝軍は搦手側に分
            かれて攻め込みました。
            このとき八王子城主北条氏照は小田原城に詰めており、留守を横地監物(よこちけんもつ)・
            中山勘解由(なかやまかんげゆ)ら重臣が守っていました。
            重臣らは奮戦しましたが、ついに搦手側から破られ、ついで大手側も陥落、重臣らの多くも
            討ち死にし、八王子城は落城しました。
            この戦いの様子は、江戸時代に編さんされた「新編武蔵国風土起稿/しんぺんむさしのくに
            ふどきこう」や「武蔵名勝図会/むさしめいしょうずえ」に記されています。

                                     



                                 



  ● すぐ側に五合目の石柱が。

                      



  ● 進んでいくと右側に「管理棟→」があり、斜め右に戻る道をみると石碑が建っています。
     「小林家震災死者慰霊碑」とかかれています。

                  



                      



  ● 再び進んでいくと七合目の石柱があり、その先が二股になり、どちらでも先で合流です。

                          



  ● 突き当たりが八合目で「柵門跡」です。
        山頂の本丸方面へ続く道の尾根上に築かれた平坦地で、柵門跡と呼ばれています。
        名前の由来など詳しいことは不明です。
      標識(←八王子神社 0.4km  ↓霊園前・八王子城跡入口バス停 1.9km)  松竹バス停→)

                



      (左/八王子神社方面)・・(右/松竹バス停方面)

                  



  ● さらに登って行くと、左側の上に草に隠れるように石碑が建っています。
       (東京和合講社先達 邦井天界霊○ )と書かれていますが、最後の字が解りません。

                  



  ● 突き当たると九合目です。
       石柱の少し離れた右側に、宮標石がありました。

    * (九合目)・・・(宮標石)

                          



                  



      宮標石
        明治時代に御料林とされ皇室所有の土地としたときの標石だそうです。
        標石の上には”X ”が印され、側面に“ 宮 ”の刻印がされています。
        宮マークは御料局の印しで、反対側には境界を印した表示があります。

        2008年6月に 水沢山(群馬県高崎市)で見てから8回目の対面です。

      ほかに 石老山(神奈川県相模湖町)三国山(山梨県山中湖町)高指山(山梨県山中湖町)

            精進湖パノラマ台(山梨県富士河口湖町)三方分山(山梨県富士河口湖町)

            景信山(東京都八王子市) であいました。



  ● 本丸跡に向います。
       急に左側が開け、八王子市内や筑波山、右端のほうには相模湾も見えます。

                  



                



  ● 標識(←富士見台 1.3km  八王子神社 44m   霊園前・八王子城跡入口バス停 2.2km) にくると、
      大きなスギの大木の間から八王子神社が見えてきます。

                      




                          (画像をクリックすると、大きくなります)


                                ● (入口へ) ●


   

HTML Builder from Excel   作成:QQQ