本丸跡〜御主殿跡コ-ス
2009.02.02
                 


     本丸跡−−井戸−−分岐(高尾陣馬縦走路)−−山王台−−御主殿


                  所要時間  登り・・約40分

               (画像をクリックすると、大きくなります)

 
”本丸跡” に到着。
   深沢山(城山)の地形を巧みに利用して作られています。
   頂上に本丸が設けられましたが、平地があまり広くないため大きな建物はなかったよう
   です。
   横地監物吉信が守備していました。
   焼けた櫛が出土したことから、最後の戦いに女性ががいたということだそうです。
   また周囲に敵の侵入や攻撃を防ぐために「曲輪」と呼ばれる平場が配置されています。

    * (本丸跡)

        


 見晴台にいらした男性に教えてもらったコース(井戸方面から山王台経由で御主殿に)で
 下る事にしました。
階段を下り八王子神社へ。
 ●八王子神社
     延喜13年(913)、華厳菩薩妙行が山頂で修行中に牛頭天王と八人の王子が現れま
     した。
     厄よけの神様なので、北条氏照は延喜16年(916)に八王子権現を祀り、城の守護神
     としました。  八王子の起源だそうです。

                      


標識(←高尾山陣馬山 八王子神社・元八王子→)とトイレもあります。

    * (トイレ)・・・(←高尾山・陣馬山)

                  


標識(←高尾山・陣馬山)に従い少し下ると、井戸曲輪跡の”井戸”につきました。
井戸には御幣がくくりつけられ、コップが置いてあるので汲み上げポンプを押すと水が出ました
今まで枯れる事がなかったのでしょう。

    * (右画像/井戸)

                  

 
下って行くと突き当たり、
標識(←高尾陣馬縦走路 ↓八王子城山)があり、右の道にはロープが張られ通行止めに。
標識に従い下っていきます。


    * (右画像/高尾陣馬縦走路方面へ)

        


急坂を下ると突き当たり、標識(←元八王子 高尾陣馬縦走路→)あります。
富士見台・高尾陣馬縦走路方面は、しっかりした道が続いています。

    * (分岐)・・・(右画像/高尾方面)

        


元八王子方面に向いますが、少しの間は谷側が崩れて狭くなっているので注意が必要です。

     * (谷側が崩れて狭くなっているので注意)

        


そこを過ぎ、急に竹が多くなった道を下って行くと、再び宮標石発見。
山王台までに4個ありました。

        


    * (宮標石)

        


   宮標石
     明治時代に御料林とされ皇室所有の土地としたときの標石だそうです。
     標石の上には”X ”が印され、側面に“ 宮 ”の刻印がされています。
     宮マークは御料局の印しで、反対側には境界を印した表示があります。

2008年6月に水沢山(群馬県高崎市)で見てから8回目の対面です。
  ほかに石老山(神奈川県相模湖町)三国山(山梨県山中湖町)高指山(山梨県山中湖町)
       精進湖パノラマ台(山梨県富士河口湖町)三方分山(山梨県富士河口湖町)
       景信山(東京都八王子市)            であいました。
   
山王台到着。
八王子城の攻防で戦死した兵士たちのために建てられた大きな供養塔があり、南無妙法蓮
華経の字が彫られてます。

    * (山王台)

                      


ここにも宮標石がありました。
供養塔の右側の道をいくと8合目に行くようですが、土砂崩れの為通行止めになっています。
標識はありませんが、左側の小石混じりの道をジクザクに下っていきます。

    * (御主殿跡方面)・・・(8合目方面・通行止め)

                  


所々の石に赤いペンキで丸がついています。
下って行くと右側に大きな四角い石があり、その右脇には落城からそのままの姿で石垣が何
段も残っています。

    * (赤い印)・・・(石垣が何段も残っています)

        


まもなく”御主殿跡”です。
御主殿跡に出たところには、”マムシ注意”の看板がたっています。
    数箇所に ”マムシ注意” の看板がたっているので、注意してください。

    * (御主殿跡手前)・・・(振り返ると)

        


御主殿跡到着。
夏には緑に囲まれた芝生の広場が広がっていますが、冬は寂しい感じです。
   ここ御主殿にあった館は広間が150畳あったそうです。
御主殿正門に向い、右側から御主殿の滝へ。

                     


             


御主殿の南側の坂道を下ると、”御主殿の滝” があります。
石碑には、花が供えられていました。
  ●御主殿の滝
     天正18年(1590年)6月23日の豊臣秀吉の軍勢による攻撃で落城した際に、御主殿
     にいた女性や子供、将兵たちが滝の上で自刃をし、次々と身を投じたといわれていま
     す。その血で城山川の水は三日三晩、赤く染まったとの言い伝えが残っています。

        


                    (画像をクリックすると、大きくなります)
 

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