青葉城址 ( 仙台城址 宮城県仙台市 )
青葉城址からのパノラマ

  ● 青葉城址/仙台城址
       青葉山丘陵にあり竜ノ口峡谷と広瀬川に臨む断崖絶壁を外堀とする天然要害の地で1602年(慶長7)
       伊達政宗により完成し、以降、13代260余年にわたり伊達氏の居城となりました。
       石垣が残り、建物は大手門の脇櫓が再建。
       天守台跡には政宗騎馬像がたっています。

                          


                  


                  


  ● 「明治元年現状仙台城市之図」
       仙台城の上空・青葉山から、広瀬川の東側に展開する城下を、俯瞰的・写実画風に描いた絵図。
       画面全体にわたって蛇行する広瀬川、武家屋敷とその屋敷林や町屋敷など、碁盤目状に区画され
       た町割りが描かれる。
       画面の上方には宮城野原や原町、台原、堤町など、城下の縁辺部までを描写している。
       城下の主な施設・建築物などには名称が記され、市街を流れる堀や橋が詳細に描かれる。
       奥州街道は、画面右手の広瀬川に架かる長町橋を渡って城下に入り、櫓風の建物で囲まれた芭蕉
       の辻に至り、さらに北進して画面左上の堤町で城下を出る。
       画面手前には、仙台城の大手門がみえ、本丸の建物も一部描かれている。
             縦38.0cm×横95.0cm  1868年製作   作者不明     仙台市博物館蔵

                          


  ● 仙台は初代仙台藩主伊達政宗(1567〜1636)により築かれた仙台城の城下町です。
       政宗は関ヶ原の戦いにあたって、慶長5年(1600)、青葉山の山上に中世の山城「千代城/せんだい
       じょう」を再興して仙台城「本丸・標高115m」を築き、岩出山から移って広瀬川の海岸段丘城下を建
       設した政宗は寛永5年(1628)晩年の居城となる若林城に移り城下が南東に拡張する政宗の霊屋・
       瑞鳳殿は本丸の南、経ヶ峰の地にある。
       政宗の死後、二代藩主徒宗(1599〜1858)は二の丸を造営し、藩政ほ中心が本丸から移され城下の
       発展は元禄年間(1700年頃)に頂点に達した。
       現在の仙台の街は、江戸時代の城下の範囲を大きく越えて拡大し、人口百万人を超す政令指定都
       市である。
       市外地の緑は、天然記念物青葉山や市街地を流れる広瀬川とともに「杜の都・仙台」を代表する自
       然と憩いの場となっている。
       仙台城跡は平成15年(2003)に国史跡に指定され、調査の上で保存と整備・活用が進められている

                         


  


  ● 昭忠塔
       この塔は、明治4年日本の護りとして仙台に鎮台(後の陸軍第二師団)が設置されてより、西南の役
       (明治10年)、京城事変(明治17年)、日清戦争(明治27.28年)等の間、日本の内外の戦いで東北各
       地の将兵が多く戦死しました。
       これらの人々が日本の独立を平和の為に戦った志と、その死を悼み、慰霊の為に、知事、市長、
       第二師団長等が発起人となり、広く募金により明治35年11月竣工しました。
       塔は頂上の鵄(トビ)迄約20m、鵄は青銅製で翼巾6.7m、重量17.5tで、遠く大陸を睨んでいると言わ
       れます。
       「昭忠」の字は、小松宮彰仁親王の親書です。
       招魂社(現護国神社)完成迄、この場所で毎年慰霊祭が行われました。   宮城県郷友会

    * (東日本大地震で頂上の鵄(トビ/青銅製)は落下)・・(地震前の昭忠塔/仙台サーチHPより)

                         


  ● 土井晩翠の碑
       本名を林吉といい明治4年(1871)仙台市北鍛冶町の質商土井七郎兵衛の長男として生まれた。
       明治11年培根小学校(今の木町小学校)に入り、のち立町小学校に転校、仙台英語学校、旧制第
       二nn高等学校を経て明治30年東京帝国大学英文科を卒業、明治33年母校二高の教授として帰仙。
       その間31年に不朽の名作「荒城の月」を作詞発表、続いて第一詩集「天地有情」を処女出版した。
       島崎藤村の「若菜集」におくれること2年の明治32年晩翠の28才から29才にかけての頃であった。
       のち6つの詩集や数多くの随筆など出版した。
       昭和22年日本芸術院会員、24年仙台市名誉市民に推され翌25年、文化勲章を受章され昭和27
       年10月19日、仙台市本荒町の晩翠草堂で情熱の詩人としての81年の生涯を閉じられた。
           この碑は昭和27年、晩翠会等によって建てられたものです。
               春高楼の花の宴 めぐる盃影さして
                           千代の松が枝わけいでし むかしの光いまいづこ
               秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁の数見せて
                           植うるつるぎに照りそいし むかしの光いまいづこ
               いま荒城の夜半の月 変わらぬ光たがためぞ
                           垣に残るはただかづら 松に歌ふはただ嵐
               天井影は変らねど 栄枯は移る世の姿
                           写さんとてか今もなほ ああ荒城の夜半の月

                          


       「荒城の月」
           「荒城の月」の演奏は、午前9時から午後6時まで30分ごとに放送されます。
           この放送設備は、平成14年に、世界の詩「荒城の月」復元有志の会から寄付を受けました。
              作詞 土井 晩翠(1871〜1952)      作曲 滝 廉太郎(1879〜1903)
              合唱 グリーン・ウッド・ハーモニー          仙台市青葉区  公園課

                          


  ● 青葉城本丸会館
       奥州王伊達政宗公の一生をはじめ伊達家・仙台藩・仙台城(青葉城)に関し、実物資料、パネル、
       模型などを展示、解説しています。
           開館  4/1〜11/3   9:00〜17:00  (受付終了16:30)
                11/4〜3/31   9:00〜16:00  (受付終了15:30)
                   年中無休(年に数日、メンテナンスのため休館)
                   閉館時間は季節や天候により早まることも。
           入館料  一般・大学 700円  中・高生 500円  小学生 300円
           食事処・売店もあります。

  ● 宮城縣護國神社
       明治天皇の思し召しにより、明治維新から大東亜戦争に至るまで、幾多の戦役でわが国の平和と
       繁栄を念じつつ、尊い生命を御国に捧げられた郷土出身者の御霊をお祀りしております。
       明治37年8月27日、ここ仙台城(青葉城)本丸址に招魂社として創建され昭和14年内務大臣指定
       護國神社となり、昭和20年7月の仙台大空襲の戦火により社殿施設を全焼しましたが、戦後多くの
       困難を乗越えて現在の姿に復興いたしました。
       現在、宮城県出身戦歿者、元第2師団管内(福島、新潟、山形の一部)戦歿の御祭神56,000余柱
       柱をお祀りしております。

                          



                  


         (アクセス)
            車の場合  仙台駅前より車で約20分
                    東北自動車道宮城インターより約15分
            バスの場合
                    仙台駅西口バスプール(9)→ 「青葉通・工学部経由動物公園循環」
                    仙台駅西口バスプール(11)→ 「愛宕大橋経由動物公園循環」
                       下車:バス停「仙台城南」〜徒歩3分

         近くに 大崎八幡宮・・瑞鳳殿・・瑞鳳寺

                   磊々峡・・秋保大滝不動尊・・地底の森ミュージアム があります


                 ●  青葉城/本丸会館HP・仙台サーチHPを参考にしました ●

                                仙台観光イベントお店情報-仙台サーチ


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