(1)宝蔵→夜叉神堂

                                



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   ● 慶賀門 (けいがもん/重要文化財)
        鎌倉時代前期に造られた八脚門です。
        境内北東角にあり大宮通りに面し、事実上の参詣者入口となっている門。

    * (右画像/境内から)

                         


                             


                             


   ● 東寺洛南会館
        東寺境内にあり、人気の高い旅館です。

                         


   ● 手水舎

                  


   ● 増運辨才天碑

                                      


   ● 宝蔵(平安時代)
        創建当時は、南北二棟存在し、宝物経巻を収蔵していた。
        長保2年(1000)と大治元年(1126)に焼失して、建久9年(1198)に文覚上人によって再建されたもの
        が残ったとされていたが解体整理の結果、東寺創建に近い頃の建立と考えられる。

                          


                  


   ● 伝 小野道風ゆかりの柳
         歌舞伎  小野道風青龍硯  「柳ヶ池蛙飛の場」の舞台より

                                   


   ● 食道(じきどう 近代)
        僧侶が齋時に集って食事をした場所で創建年代は未詳。
        896年、理源大師・聖宝により6mの千手観音立像(現宝物館安置)と四天王像を造立。
        千手堂とも呼ばれ、足利尊氏もここに居住した。
        昭和5年(1930)12月21日焼失、昭和9年4月竣工。
        春日厨子に納まった十一面観音立像は明珍恒男氏の作である。

                  


                  


   ● 夜叉神堂 桃山時代
          東 雄夜叉  本地文殊菩薩    西 雌夜叉  本地虚空蔵菩薩
        最初は南大門の左右に安置されていたが、旅人が拝まないで通ると忽ちその罰があたったとされ
        中門(現在の金堂前燈籠周辺)の左右に移された。
        慶長元年(1596年)中門倒壊の後、現在の小堂を建立して安置した。
        夜叉神像は弘法大師の御作とされ霊験甚だあらたかで、仏法守護を本誓となすとあり、歯痛を治
        して下さると親しまれている。

                          


                



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                               ● (入口へ) ●



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