(1)跨虹橋→超然居

        


                           (縮景園HPからお借りしました)

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  ● 縮景園に入ります。

                     


  ● 入園券売場

                  


  ● 売店「泉水亭」 

                          


                          


  ● 清風館(せいふうかん)
       清風館は庭園のほぼ中央にあり、庭園にふさわしい数寄屋造りで屋根は柿葺くき(こけらぶき)です
       西側は優雅な書院造りの様式をそなえており、東側には花頭窓(かとうまど)を設け跨虹橋(ここきょ
       う)に臨んでいます。
       代々の藩主が愛好した名亭です。
       この建物は従来「壱之御茶屋」と呼ばれていましたが、7代藩主浅野重晟(あさのしげあきら)時代、
       文徴明(ぶんちょうめい)筆の「清風」の額に因んで「清風館」と呼ばれるようになりました。
       明治27・28年(1894・95)の日清戦争に当たって大本営が東京から広島に移され、縮景園は、大本
       営副営とされ、清風館は、明治天皇の居所とされました。
       面積は、約178平方メートルで、昭和39年(1964)に復元されました。

                  


              


  ● 清風館の周囲をいくと、濯纓池が広がり跨虹橋がかかっています。
       濯纓池(たくえいち)
          この濯纓池の取水は正面築山の向こう側の京橋川から満潮時に取り込むように造られており
          上流からの真水と海水が混ざり合って流れ込むため、水質は汽水(きすい/弱塩水)状態です。
          このため、コイとボラ、スズキ、チヌが一緒にいる池となっています。
          広さ約8,000平方メートル、最深部の深さは1.2メートルです。

       跨虹橋(ここうきょう)
          濯纓池(たくえいち)を二分する形で配された、花崗岩製の橋です。
          天明6年(1786年)、清水七朗右衛門により現在の形になったといわれています。
          東京/小石川後楽園の円月橋や京都修学院離宮の千歳橋に匹敵する縮景園を象徴する名橋です。

                          


                  



    



         



    



         


                          (全景は、パノラマでご覧ください)


  ● 園内を時計回りにまわるため、流川にかかる木橋をわたります。
       流川(ながれかわ)
          かつて、濯纓池(たくえいち)から流れ出た水は、まっすぐ南に流れて流川を通り、広島湾に出て
          いました。
          現在は流川は埋められ、繁華街となりましたが、名前のみが残っています。

                          


                  


  ● 分岐になり、左側は美術館へ、右側は濯纓池を見ながら進みます。 

                  


  ● 楊貴妃型石灯籠
       形が唐の楊貴妃が付けた冠に似ていることから、この名がつきました。
       同じ形のものには、京都市大徳寺内の聚光院(じゅこういん)にある千利休の墓があります。
       この二つが楊貴妃型といわれる貴重なものとされています。

                     


  ● 朱塗りの観瀾橋(かんらんきょう)を渡ると、右側に超然居がみえます。

                  


                          


  ● 超然居(ちょうぜんきょ)
       園内最大の島で観瀾橋(かんらんきょう)、洗心橋(せんしんきょう)の両橋で結ばれ人里を離れた静
       寂な場所を表しています。
       中央に柿葺き(こけらぶき)屋根の四阿(あずまや)があります。
       周辺の模様は、上田宗箇(うえだそうこ)の代表的な作意であると言われており、清水七郎右衛門(
       しみずしちろうえもん)は宗箇の意思を尊重し手を加えなかったものです。
       昭和45年(1970)に復元されました。

                  


  ● 萬歳手水鉢(ばんざいちょうずばち)
      下段にある自然石の手水鉢を萬歳手水鉢といいます。
      牛田山(うしたやま)の清水谷(しみずたに)から湧水を巧みに導き、木管を通して自然の湧水のように作っ
      てありました。

                  


  ● 少し下ると洗心橋の側に、「陰陽石」があります。
       陰陽石
         判然としないが、よく見ると識別できる程度のものです。

                  


  ● 洗心橋を渡ります。

                  



                          (画像をクリックすると、大きくなります)


                                ● (入口へ) ●



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