(2)坤櫓 (ひつじさるやぐら)

                           


                       (画像をクリックすると大きくなります)    (駿府城公園
   

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  ● 坤櫓 (ひつじさるやぐら)
       駿府城二ノ丸の南西の角に位置する櫓です。
       江戸時代は方位に干支を用いており、南西の方角を未(ひつじ)と申(さる)の間であるため坤(ひつ
       じさる)と呼びました。
       安政元年(1854年)の安政大地震で崩壊したため、160年ぶりの復元となりました。
       外見は、屋根が二重ですが、内部は三階構造となっています。

                  


                          


  ● 手解きの間
       坤櫓復元工事の様子や、駿府と家康公の歴史を映像で紹介します。

                          


       坤櫓の構造
          一階ガラス部の上部(二階、三階)の床板を取り外しています。
          大屋根を支える松丸太の小屋組みもご覧ください。

          大引は、礎石の形にあわせて加工を施す、ひかり付けが施されています。
          床は、タタキ(土、石炭、にがり)仕上げを施し、床下の湿度調整を図っています。
          また、3種類の材料を用いることから、三和土(タタキ)と呼ばれています。
             大引(おおびき)   材:檜  高さ:8寸(約24cm)  幅:9寸(約27cm)
               1階の床組の重要な部材で、根太を支え、大引きの端は土台に止められています。
             根太(ねだ)   材:檜  高さ:5寸(約15cm)  幅:4寸(約12cm)
               根太は、床をはるために必要となる下地の部材です。

                   


                          


  ● 記憶の間
       櫓周辺の発掘調査で発見された瓦などの実物を展示します。
       坤櫓の収蔵品を記した資料あわせて紹介します。
       坤櫓は、家康築城当初から存在していますが、最終的には安政の大地震(1854年)によって倒壊し、
       その後は再建されていません。
       ここに展示してある瓦類は、坤櫓地点の発掘調査によって出土した瓦です。
       出土状況が、櫓周辺の土手を覆う土の中から多くの瓦が出土していることから、安政の地震で倒壊
       し埋没した瓦が検出されたものと考えられます。

    * (右画像/鬼瓦/葵紋)

                


    * (軒丸瓦)・・・(軒平瓦)・・・(輪違い瓦)

                    


       六葉(ろくよう)
          懸魚(げぎょ)の中心についている飾りです。(写真参照)
          6枚の葉の形をした図柄が多いところから六葉と呼ばれています。
          六葉の中心から出ている丸い棒が、酒だるの口を栓で止めた状態に似ているところから「樽の
          口(たるのくち)」と呼ばれ、その根元にあるのが菊の形をした「菊座(きくざ)」と呼ばれます。
          外周に象られた葉の間には、亥の目(いのめ)と呼ばれるハートの形をした彫が施されています
          懸魚、樽の口、亥の目も火除けを願うものです。

       和釘(わくぎ)
          坤櫓の床板に使用している釘です。
          軸が丸い洋釘とは異なり、和釘は断面が四角の形をしています。
          1本1本、真っ赤に焼いた釘を叩いて形作るため表面には酸化被膜が形成され、丈夫な釘となり
          ます。
          釘の頭を平にして丸めていますが、床に打ち付けると平らになります。
          長さ 12cm(約4寸)

                


       発掘調査で見つかった坤櫓
          坤櫓の発掘調査は、駿府城公園再整備計画に基づき平成18年〜19年に行われました。
          櫓の二ノ丸堀側(南西側)は石垣が崩壊した状態であったため遺構は確認でえきませんでしたが
          北東角部分には新たに石垣が確認されました。
          この石垣は、打ち込みハギ技法により積まれており、徳川家康が慶長期に築城した当初の石垣
          と考えられます。

             


       坤櫓の役割
          坤櫓は二ノ丸南西の隅櫓です。
          2重3階の形態から、見張り等と、武器等の倉として使用されたと考えられます。
          この資料は、新たに見つかった坤櫓に関する古文書資料で、江戸時代後半の資料と推定され
          ます。
          櫓の内部に槍や長刀等の武具が備えられていたことがわかる興味深い資料です。

                           


  ● 変幻の間
       大御所家康公の甲冑を身にまとい、家康公になりきって見ませんか。

                         


       歯朶具足(しだぐそく 重要文化財) 桃山時代(16世紀) 久能山東照宮博物館
          家康公が関ヶ原合戦に着用し、大阪の陣にも身近に置いて勝利を得たことで吉祥の鎧として尊
          ばれた。

    * (歯朶具足)・・・(江戸初期に描かれた駿府城天守)

                          


       オランダ王国大使館よりプレゼントされた徳川家康公のご朱印状
          平成26年4月2日、ラーディンク・ファン・フォレンホーヴェン大使より、静岡市長にご朱印状の複
          製が手渡されました。
          このご朱印状は、1609年(慶長14年)、駿府城で徳川家康公よりオランダの使節団に渡されたご
          朱印状です。
          このご朱印状が、幕末まで日本とオランダが交易を行うきっかけになりました。
          駿府城二ノ丸坤櫓の復元工事完成にあたり、改めてオランダ王国と静岡市とのつながりを多く
          の市民にご紹介するとともに、今後両者の交流が広がることを願いプレゼントされました。

       オランダ船の通行を許可する徳川家康の朱印状(現代訳)
          オランダ船が日本の如何なる浦に着岸しても、問題があってはならない。
          今後は前述の趣旨を守り、オランダ人は支障なく往来できる。
          少しでもおろそかに扱ってはならない。 以上   慶長14年7月25日 (1609年8月24日)

                        


                  



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