(9)影向堂→薬師堂

                           


                        (画像をクリックすると大きくなります)
  

     << 影向堂−→六地蔵石燈籠−→一言不動尊−→

            −→橋本薬師堂−→聖観音菩薩像−→九頭竜権現−→金龍権現−→

                   −→仏頂尊勝陀羅尼碑−→三尊名号供養塔−→西仏板碑−→石橋 >>

  ● 影向堂(ようごどう)
       影向堂はもと本堂南東にあったものを、平成6年に浅草寺中興開山慈覚大師円仁さまのご生誕1200
       年を記念して、現在地に再建されたもので、観音様のお説法やご活躍に不断に讃嘆協力されている
       仏さま方「影向衆/ようごうしゅう」をおまつりしているお堂である。
       堂内には、中央に聖観世音菩薩さま、その左右に十二支に応じた生まれ年の守り本尊さま八体がお
       まつりされている。
       お堂の上、棟飾りには、火伏せの咒い(まじない)とされる金箔押しの鴟尾(しび)を置く。
       鴟尾を取り付ける際は不思議と雨を呼ぶといわれており、平成6年夏の建立時も記録的な日照りであ
       ったが、鴟尾を取り付けると突如として雨が降り、人々を感動させた。    金龍山  浅草寺

                         


                  


                         


    大黒天 浅草名所七福神
       このお像は、「浅草名所七福神」の一尊として信仰される大黒天である。
       別名、「米櫃大黒」とも言われる。
       大黒天とは「大黒天神」とも呼ばれ、元々はインドの神であった。
       やがて仏教に取り入れられ、日本では袋を背負い俵に乗る柔和な姿に表され、商売繁昌や福徳の
       神としてお祀りされる。
       大黒天の縁日は「子/ね」の日であり、この日にお参りされるご信徒も多い。
          大黒天のご朱印も堂内にてお求めになれます。

                                


  ● 六地蔵石燈籠 (東京都指定旧跡)   所在地 台東区浅草2-3-1 浅草寺内
          仮指定 大正13年2月5日     指定  昭和30年3月28日
       この石燈籠はかつて元花川戸町にあったものが、明治23年(1890)に現在地に移転されたものです
       高さ約235cm余り、龕部(がんぶ)六面に地蔵を彫りつけてあります。
       石燈籠と呼ばれていますが、「火袋(灯明部)」はありません。
       詳細は不明ですが、伝承では久安2年(1146)、久安6年(1170)あるいは応安元年(1368)建立ともい
       われます。
       現在では風化や火災の影響により、竿石に刻まれた文字などの判読は困難です。
       多くの分権い取り上げられている燈籠ですが、「江戸名所図会」などでもすでに印刻の判読が困難
       であったようです。
       そのため、都内でも古い時代の制作のものと考えられます。
                      平成24年3月 建設        東京都教育委員会

                       


                             


  ● 一言(ひとこと)不動尊
       怒りのお姿をした不動明王さまは、そのお姿をして教化し難い者を導き、その力でわれわれの迷いの
       心を打ち切ってくださる仏さま。
       この一言不動尊は、何か願い事を一つに限って祈願すると、その願いがかなうとされ、古来より霊験
       が著しいといわれている。
       享保10年(1725) 造立。                    金龍山 浅草寺

                             


                      


  ● 橋本薬師堂    所在地 台東区浅草2-3-1
       当初は観音堂の北方にあって、北薬師と呼ばれた。
       慶安2年(1649)3代将軍徳川家光が観音堂の北西に再建し、堀にかかる橋のかたわらにあったので、
       家光自身が橋本薬師堂と名付けた。
       平成6年(1994)、現在の場所に移転した。
       現在の建物は、桁行三間(約5.35m)、梁間三間(約5.10m)、屋根は入母屋造、瓦葺。
       外部はかなり改変され、前面にあった三間に一間の向拝は取り除かれているが、浅草寺境内に遺存
       する堂宇のうち、浅草神社の社殿と同時代で、二天門や影向堂脇の六角堂に次ぐ古建築である。
       薬師如来坐像を本尊とし、他に前立の薬師如来と十二神将像が安置されている。
                      平成8年(1996)3月    台東区教育委員会

                          


                         


  ● 聖観音菩薩像
       観音さまは、われわれの苦しみをとり除き、お願いをきいて、「慈悲の心(あたたかい心)」を与えてくだ
       さる仏さま。
       この像は、尾張国の孝山義道の発願により、享保5年(1720)に建立された。
       台座に「千日参供養佛」と刻まれている。胴製。           金龍山  浅草寺

                      


                          


  ● 九頭竜権現
       竜神さまは、仏教をお守りし、雨を操り、われわれに五穀豊穣や福徳を授けてくださる。
       この九頭竜権現は長野県戸隠山の地主神で、昭和33年の本堂再建にあたって、その成就を祈るべ
       く勧請された。
       現在も浅草寺の伽藍安穏の守護神である。

                  


  ● 金龍権現
       寺伝の縁起によれば、浅草寺ご本尊観音さまのこ示現にあたり、天より百尺ばかりの金龍が舞い降
       りて、その功徳を讃え観音様をお守りしたとされることから、浅草寺の山号を「金龍山」という。
       これにより奉安されたのが、この「金龍権現」である。
       このことに因み、現在、3月18日と10月18日の年2回、浅草寺境内にて寺舞「金龍の舞」が奉演され
       ている。               金龍山   浅草寺

                  


  ● 仏頂尊勝陀羅尼碑(ぶっちょそんしょうだらにひ)
       「仏頂尊勝陀羅尼」とは、唱える人に息災延命などのご利益を授けるとされる、古くから信奉されてき
       た尊いお経である。
       碑の正面上部には「仏頂尊勝陀羅尼碑」と題字が、その下に梵字で陀羅尼が刻まれている。
       背面には漢字で陀羅尼の功徳について、末尾には造立年代である元治元年(1864)と制作者の名を
       見ることができる。
       この碑を奉納した海如(1837〜73)は、奈良の長谷寺などで修行した真言宗の僧侶である。
       碑の背面に「浅草大悲閣の下に建てた」という旨が記され、当時天台宗であった浅草寺に碑を建立
       した経緯は不明であるが、当寺が宗派を超えて信仰されていたことを物語る。   金龍山 浅草寺

                             


  ● 三尊名号供養塔(さんぞんみょうごうくようとう)
       三尊名号とは、塔正面に刻まれた「南無阿弥陀仏」、向かって右の「観世音菩薩」、向かって左の「大
       勢至菩薩」の阿弥陀三尊の名に由来する。
       阿弥陀さまは西方極楽浄土にて、往生者を迎えに来て(来迎)くださることから多くの信仰を集め浅草
       寺にも影向堂内、本堂西側、境内各所にお祀りされ我々を見守ってくださっている。
       この塔は、文政10年(1827)に江戸屏風坂下(現在の上野)の鹿島屋弥兵衛が発願した。
       ご先祖やさまざまな方々の 菩提を弔うために奉納した旨の銘文が刻まれており、江戸町人の阿弥
       陀さまを慕う敬虔な心が感じられる。       金龍山  浅草寺

                             


  ● 西仏板碑(東京都指定有形文化財 歴史資料)   所在地 台東区浅草2-3-1 (浅草寺)
           指定  昭和17年(1942)9月 旧跡         昭和56年(1981)3月12日 種別変更
       建立者の西仏(さいぶつ)については明らかではないが、この板碑(いたび)は彼が妻子の後世安楽を
       祈って建立したものと推測される。
       建立の年代も不詳であるが、鎌倉末から室町初期かと思われる。
       上部が破損しているが、製作時には3m近くあったものと思われる。
       寛保2年(1742)暴風雨によって倒れ破損、文化11年(1814)に有志が側柱を立てて支えたという。
       材質は秩父粘板岩(青石)。    現存の板碑の大きさは高さ217.9cm、幅48.0cm、厚さ4.7cm。
       中世の信仰を知るうえで貴重な遺品であり、かつ巨大板碑の典型例である。
                    平成8年3月25日 建設 東京都教育委員会

                       


  ● 石橋(しゃっきょう)
       現存する都内最古とされるこの石橋は、元和4年(1618)浅草寺に東照宮(現存せず)が造営された際
       参詣のための神橋として造られたものである。
       寄進者は、徳川家康の娘振姫(ふりひめ)の婿、紀伊国和歌山藩主浅野長晟(あさのながあきら/広
       島浅野家藩祖)である。
       この石橋は昭和23年、文部省より重要美術品に認定されている。     金龍山 浅草寺

                         



                        (画像をクリックすると、大きくなります)


                               ● (入口へ) ●

  

HTML Builder from Excel   作成:QQQ