(5)横笛庵→旧東慶寺仏殿

                     


  * (17 寒霞橋と横笛庵)・・(16 横笛庵内に安置されていた横笛の像)・・(18 松風閣の別景)


                        (画像をクリックすると大きくなります)
   

   << (17)寒霞橋と横笛庵−→横笛庵−→(16)横笛庵内に安置されていた横笛の像−→

                          −→寒霞橋−→(18)松風閣の別景−→旧東慶寺仏殿 >>


  ● 突き当たりを右折すると、「横笛庵」がみえてきます。

                          


  ● (17)寒霞橋と横笛庵
       奥に見える茅葺きの建物は、今ではもう失われた待春軒。
       手前の風景は現在もほぼ変わっていないが、横笛庵の屋根の頭頂部には植物を植え付けた”芝棟”
       と呼ばれるしゃれた演出が施されている。
       芝棟は、山梨県から関東・東北地方にかけてみられるもので、三溪園ではアヤメ科のイチハツなどを
       えていたようである。
       横笛庵は、落飾した(尼姿の)横笛像を安置した侘びた草庵風の建物だが、芝棟にイチハツの花が咲
       く初夏の一時期、あたかも髪飾りをつけた清楚な女性を思わせる装いとなった。

            


  ● 横笛庵
       高倉天皇中宮建礼門院に仕えた横笛と平重盛の家臣滝口入道(斉藤時頼)との悲恋は有名です。
       横笛は寺にこもり入道から送られた千束の恋文をもって己の像をつくりました。
       その像がこの庵に安置されていましたが第2次大戦中に被害を受け失われてしまいました。

                                 


  ● (16)横笛庵内に安置されていた横笛の像
       横笛は今から800年程前、平清盛の娘・建礼門院徳子(高倉天皇の中宮)に仕えた女官で、平家物語
       には平重盛の従者・斉藤時頼(滝口入道)との悲恋が語られている。
       この像はその横笛が滝口入道から送られた恋文をもって作ったと伝えられたが、現存しない。
       なお、横笛が出家後に住んだといわれる奈良・法華寺にも同様の像が伝わっているが、関わりなどは
       不明である。

                              


                  


  ● 寒霞橋(かんかばし)を渡ります。

                  


  ● 突き当たりを左折すると、すぐ左右にわかれます。

    * (突き当たりを左折)・・・(左右にわかれます)

                              


  ● 右側の道を行くと、小さな滝があります。

                  


  ● 左側の道を下り、小さな沢を渡り登り返します。

    * (寒霞橋)・・・(小さな滝)

                  


  ● (18)松風閣の別景
       松風閣は当初、原家初代・善三郎が別荘として建て、三溪の代となってさらに増築が重ねられた。
       その規模は、本邸・鶴翔閣をしのぐものであったといわれるが惜しくも関東大震災で倒壊、現存しない
       ここから見上げるその姿は、和風木造建築が大部分で、No.12のレンガ造の玄関部とはだいぶ異なっ
       ている。
       この一部に三溪の支援を受けた日本画家・下村観山の障壁画「四季草花図」の描かれた”観山の間”
       があった。
       その名のとおり、まさに松林の中にたたずむ建物である。

                         


  ● 旧東慶寺仏殿(重要文化財)
       この建物は、室町時代永正6年(1509)直後に鎌倉東慶寺の仏殿です。
       明治40年(1907)三溪園に移築されました。
       東慶寺は弘安8年(1285)北条時宗の妻覚山尼が創建した寺院で、駆込寺あるいは縁切寺として有名
       でした。

                                


                  



                        (画像をクリックすると、大きくなります)


                               ● (入口へ) ●

 

HTML Builder from Excel   作成:QQQ