(2)写経奉納塔→夜泣泉

      


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               −→法然塔(名号石/みょうごうせき)−→庭内樹・エノキ−→庭内樹・太閤椿→

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   ● 北門

                          


   ● 地蔵堂
        回廊の北端にある小堂で、地蔵・大日・阿弥陀等の石像が奉られています。
        とくに幼児の「夜泣き封じ」のご利益があるといわれ、今も参拝する方が絶えません。

                         


                      


   ● 回廊

                          


   ● 後白河上皇院政庁「法住寺殿/ほうじゅうじどの」址碑
        法住寺殿は、保元3年(1158)8月 、その皇子・二条天皇に譲位して上皇となった後白河院が約30
        年にわたり院政(上皇が天皇に代わって政権運営をする特異な政治形態)を行った政庁です。
        上皇になると天皇の住う御所とは別の所に専用の”院御所”を造営するのが通例で、先例の白河・
        鳥羽の両帝に続き、その度に大規模な土木工事が行われました。
        後白河院は譲位直後に御所の造営に着手、東山の麓から西は鴨川河岸まで、南北は八条坊門
        小路(現・東海道線南・大谷高校辺)から六条大路(現・六条通り)に及ぶ広大な地域で、その地名
        を取り「法住寺殿」と名づけたのでした。
        構内は政治的な施設の「北殿」と”常の御所”と呼ぶ住居に三十三間堂をはじめとする宗教的堂
        塔が集中した「南殿」に分かれ、東山を背にする丘陵に地中かわ湧き出たような大建築が甍を並
        べたといいます。
        永暦2年(1161)4月、月明かりの夜に、上皇はここに移り以後20年住まいとします。
        しかし、賑わいをみせた院の御所も、寿永2年(1183)11月、対立するようになった木曽義仲の夜襲
        にあい焼失しました。
        800年の昔に変わらぬ姿でこの場所に伝承されてきた三十三間堂は、その時代をしのぶ希有の物
        証といえるでしょう。

                         


   ● 池泉と庭園
        昭和36年、京都の造園家・中根金作師の監修により、配石の妙、その芸術性を強調した鎌倉期の
        作庭法により築庭されたもので、池畔にはサクラ・サツキ・ボタン・ツバキをはじめ夏椿やスイレンな
        ど四季の花々が咲きます。

                           



          


   ● 写経奉納塔
        昭和60年罹災した南大門修復のため写経勧募がはじめられ、奉納された写経の永代供養を目的
        として平成7年5月に完成しました。
        いまも写経の奉納は続けられ、毎秋には供養の法要が行われています。

                 


   ● 後白河法皇八百年聖忌記念碑

   ● 法然塔(名号石/みょうごうせき)
        元久元年(1204)3月、時の土御門天皇が当院で後白河法皇の13回忌を行った際、請いをうけた法
        然上人が音曲に秀でた僧を伴って「六時礼讃/ろくじらいさん」という法要を修しました。
        この碑は、その遺蹟として「法然上人霊場」にも数えられ、いまも参拝する方々があります。
        上人は”浄土の経文”を書写し、、参集した人々にも紙を分け与えて念仏・写経を勧めたといわれ
        ています。
        刻まれた「六字の名号」は温雅で素朴ながらも力強く、数多の法難をのりこえて念仏に専修した上
        人の人柄が偲ばれるようです。

    * (後白河法皇八百年聖忌記念碑)・・・(法然塔)

                             


   ● 庭内樹・エノキ
        国内では、昔の一里塚によく植えられたもので、大きいものは高さ25m、直径1.5mにもなります。
        ニレ科の落葉樹で初夏に淡黄色の花を着け、秋には6〜8mmの球形の実がなり、小鳥たちのかっ
        こうのエサ場になっています。

                                    


   ● 庭内樹・太閤椿
        桃山時代、三十三間堂をふくむこの一帯は、大仏殿、豊国社など豊臣家のモニュメント・ゾーンの
        様相を呈していました。
        この椿は「大盃」という珍種で勇将・加藤清正が太閤に献上したものと伝え、4月には、通常の倍
        ほどもある大振りの花を咲かせます。

               


   ● 庭内樹・沙羅
       平成4年5月、後白河院800回遠忌の記念に植樹されたもので、「平家物語」の有名な冒頭文に因ん
       でいます。
       ツバキ科の落葉樹で”夏椿”の和名があるように6月には椿に似た絹のような純白の花を咲かせます

                               


   ● 夜泣泉
        お堂創建の翌年(1165)6月の7日、ひとりの堂僧が夢のお告げにより発見したという霊泉で、「古今
        著聞集/ここんちょもんしゅう」には「いつも冷たく美味しくて飲んでもお腹を痛めることのない”極楽
        井”でどんなに汲んでも尽きず、汲まない時も余ることのない不思議な泉だ。」と記されています。
        夜のしじまに水の湧き出す音が人の”すすり泣き”に似ることから”夜泣き”の泉と言われるようにな
        り、いつの頃からか傍らに地蔵尊が奉られて、特に幼児の「夜泣き封じ」に功徳があるとして地蔵さ
        まの「前掛け」を持ちかえる子供の枕に敷けば”夜泣き”が治るとされ今もそのご利益を求める参拝
        が続いています。

                  


                  


   ● 東大門

                      



                  


   ● 回廊

                          



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                               ● (入口へ) ●


 

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