歴史的・文化的価値の高さから、Aランクの保存灯台に指定されているほか、「日本の灯台50選」 にも選ばれ、通称、狼煙灯台(のろしとうだい)と呼ばれています。 道の駅 狼煙(のろし)−(徒歩7〜8分)→禄剛崎灯台 (画像をクリックすると大きくなります) |
能登半島の最先端にあり、近くに禄剛埼(ろっこうざき)灯台があります。 地元特産品の大浜大豆を使用した豆腐をはじめ、地元の食材や手作り工芸品などが販売され、 店内の体験交流室では、「豆腐」や「きなこ」づくり体験ができます。 道路を挟んた民家の脇に標識(禄剛崎灯台登り口→)があります。 標識に従い、民家の間を進みます。 * (禄剛崎灯台登り口→) ほどなく「パノラマハウスのろし」があり休憩所のようです。 芝生の広い公園になり、「海風の灯」のモニュメントがあります。 「海風の灯」デザインの趣旨 中央部の石塔は石川県の大地を表し四方から塔上へ集中するように配置された自然石は、日 本海から吹き上げる風を象徴しています。 最上部の火焔透し彫りは、石川国体の炬火のために海風によって採火された「能登の火」を意 味します。 当地「狼煙」は、むかし火急の際の合図に煙をあげたという伝説の地であり、今隣接する灯台は 航海の安全を守って灯をともし続けています。 このように神聖な「火」にちなむ台地のモニュメントであることから正面より真北の海を拝した際 ここが自然への敬虔な祈りの場となるように考慮しました。 石碑「日本列島、ここが中心」があります。 能登半島を中心に円を描くと円の中に日本列島がおさまる図が刻まれています。 長野県辰野町にある「鶴ヶ峰」も、「日本中心の標のある山」といれています。 日本列島の北は宗谷岬から沖縄那覇までのほぼ中心だそうです。 * (日本列島、ここが中心) ● 禄剛崎灯台 「日本の灯台50選」に選ばれ、唯一「菊の御紋章」がある灯台です。 明治16年(1883年)日本へ技術指導にきていたイギリス人技師リチャード・ブラントン氏の設計に 基づき、建設はすべて日本人技術者の手で建設され、表面の石は能登半島七尾湾の穴水から 搬出されたものです。 当時は灯油で発光していましたが、昭和15年に電化され、その光は海上34kmまで達します。 古来この地は日本海を航海する人にとって重要な目印で、江戸時代にはこの真近にある山伏 山の山腹に九尺四方の行燈を設け、毎夜灯火して夜間航海の目印としていました。 そのため狼煙灯台、狼煙港とも呼ばれているそうです。 また天保7年(1836年)には海上警備のため、現在の灯台付近に砲台が築かれていました。 この灯台は昭和38年まで灯台守が常駐していましたが、現在は無人灯台になっています。 「海から昇る朝日と、海に沈む夕陽」が同じ場所でみれることで有名で、晴れた日には遠く立山 連峰や佐渡島を望むことができるそうです。 (全景は、パノラマでご覧ください) 「禄剛崎灯台」の説明文・山口誓子の句・周辺地図が刻まれています。 山口誓子の句・・・・「ひぐらしが鳴く奥能登のゆきどまり」 * (禄剛崎灯台・説明文) * (山口誓子の句)・・・(周辺地図) * 「禄剛崎灯台点灯100周年記念碑」 標識「東京 302km 上海 1,598km 釜山 783km ウラジオストック 772km」 標識「津波緊急避難所 ここは標高43m」 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |