(六義園HPからお借りしました) (画像をクリックすると、大きくなります) |
<<渡月橋−→中の島(妹山・背山)入口−→休憩所・売店−→出汐湊→ −→中の島(妹山・背山)−→玉藻の磯−→蓬莱島・臥龍石>> ● 渡月橋通過。 渡月橋 「和歌のうら 芦辺の田鶴の鳴声に 夜わたる月の 影そさひしき」の歌から名付けられた石の橋 2枚の大岩の重量感が、あたりの雰囲気を引き締めています。 * (中の島/妹山・背山) (全景は、パノラマでご覧ください) ● 中の島(妹山・背山)入口がありますが、関係者以外立ち入ることは出来ません。 妹山・背山の詳細は、後に記載。 * (中の島/妹山・背山への入口) ● 休憩所・売店を通過。 ● 出汐湊(でしほのみなと/でしおのみなと 六義園八十八境十三) 和歌の浦に月の出汐のさすままに よるなくたづのこゑぞさびしき 信実朝臣 新六帖 「出汐」とは、舟が湊(港)に入るときに、満潮になるのを待っていることですが、ここでは「月の出」と かけて、月が出るのを待っている様子を表しています。 桂離宮など日本庭園では「月」が大切にされてきましたが、六義園でも月に由来する地名が多くあ ります。 また、後方にある白い建物は、岩崎家に由来する蔵です。かつては付近に岩崎家の邸があり、こ ちらから池を見るのが庭園を見る大事な視点場となっていたようです。 ここからは、視野にビルがない風景を楽しむことができます。 (全景は、パノラマでご覧ください) ● 妹山(いものやま 六義園八十八境十四) ● 背山(せのやま 六義園八十八境十五) いもせ山中に生たる玉座ざヽの一度のへだてさもぞ露けき 藤原信実 新撰和歌六帖 正面の中の島にある左側の山が妹山、右側の少し大きい方が背山です。 六義園のモデルとなった紀州(和歌山県)の和歌の浦には、「妹背山(いもせやま)」のある島が今も 残ります。 夫婦、兄妹のことを「妹背(いもせ)」と呼びますが、夫婦和合、子孫繁栄の思いがこめられているの でしょうか。 中央に立つ大きな石(紀州青石)は玉笹石(八十八境の十六)と呼ばれ、歌の中の男女の仲を隔て る笹に見立てられています。 また紀ノ川流域、吉野にも妹山・背山は実在し万葉の歌枕として有名です 浄瑠璃「妹背山婦女庭訓」(いもせやまおんなていきん)は、文楽や歌舞伎の演目としてお馴染み です。 ● 玉藻の磯(たまものいそ)は、「出汐湊」の横につながり荒磯を表現しています。 (全景は、パノラマでご覧ください) ● 蓬莱島(ほうらいじま 岩崎家由来) 臥龍石(ぐわれうせき/がりょうせき 六義園八十八境二十二) 池の中に見える、アーチ型の石の島が蓬莱島です。 元禄15年の作庭当時にはなく、明治時代になって、岩崎家によって据えられたものといわれてい ますが、庭園の風景にとても良くなじんでいます。 本来は島にマツの木がありましたが、東日本大震災で石組が崩れ、マツも倒れてしまいました。 復旧に向けて検討を行っています。 蓬莱島のさらに奥、中の島の舟屋の左手にあるのが、八十八境の一つ、臥龍石です。 その名の通り、龍が伏せているような形の石が水面から顔を出しています。 こちらも震災で石が沈下してしまいましたが、修復を行い、龍の形が良く見えるようになりました。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |