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<< (1)月見橋−→(2)小納戸櫓下の石垣−→(3)廊下門−→(4)表書院跡−→ −→(5)小納戸櫓−→(6)穴藏−→(7)銃眼石−→(8)月見櫓 >> (1) 月見橋を渡り岡山城へ。 (2) 小納戸櫓下の石垣・・・廊下門右側 池田忠雄が1620年代に築いた石垣で、搦め手の廊下門脇を守る小納戸櫓が上に建っていました。 一帯の石垣の石材は犬島(岡山市犬島)から運ばれたとみられる割石で、「+」や「L」形などの刻印を 持つものがあります。 (3) 廊下門 上屋は本段(住居)と中の段表書院(藩庁)を結ぶ城主の通路として、使われたためこう呼ばれました。 本丸の搦め手にある城門で、門扉の上に敵を迎え撃つための部屋を備えていました。 現在の門は1966年に鉄筋コンクリートで再建されたものです。 (4) 廊下門を入ると表向になります。 表書院跡 岡山藩の政治が行われた建物で、数棟からなり、大小60を越える部屋がありました。 登城してきた家臣らは南東の玄関から入り、広い廊下を通って奥へ進み、それぞれ所定の部 屋に詰めていました。 廊下に面した徒番所(かちばんしょ)は城内の警備や雑用にあたる家臣の詰所でした。 藩主は、住居である本段の御殿から渡り廊下を通って北西の招雲閣(しょううんかく)に入り南 座敷で政務を執っていました。 泉水を備えた中庭には、数寄屋(茶室)が建っていました。 北東部には台所があり、藩主の食事や儀式用の料理を作っていました。 発掘調査で出土した建物の礎石や雨落ち溝などの遺構は地下に保存し、地表には建物の位 置や間取り、泉水などを表示しています。 * (左画像は天守閣6階から) (5) 小納戸櫓 廊下門と多門櫓でつながる二層櫓で、意匠はほとんど伊部櫓と同じ造りです。 (6) 穴藏 香川県豊島(てしま)産の凝灰岩(豊島石)の切石で造られており、幅3.8m、奥行2.9m、深さ2.3mあり ます。 もとは屋根があり、非常用の食料を保存していたのではないかと考えられています。 (7) 銃眼石 鉄砲を狙い撃ちするための隙間が刳り抜かれた、巨大な花崗岩の配石で、月見櫓と一帯となって軍 備を高めていきました。 石材は整った方形で、表面は極めて平滑に仕上げられています。 池田忠雄が造営工事に動員された徳川氏の大坂城にも同様の銃眼石があります。 (8) 岡山城月見櫓(国指定重要文化財) 月見櫓は、岡山城本丸を構成する一二三(ひふみ)の段の二段目に当たる、中の段北西角を固める 隅櫓(すみやぐら)です。 池田忠雄が城主であった時の城郭整備に伴って、元和年間から寛永年間前半(1620年代)に建てら れました。 構造は、一部地下付きの塗籠(ぬりごめ)造り本瓦葺き二階建てで城外「北西」側から眺めると二層 の望楼(ぼうろう)型、城内「南東」側から眺めると三層の層塔(そうとう)型を呈しています。 規模は、地階と一階が桁行(けたゆき)「東西」32尺3寸(9.79m)、梁間「南北」26尺2寸(7.94m)、二階 が方形で桁行・梁間とも16尺5寸9分(5.03m)、棟高45尺4寸(13.76m)です 地階は、一階床下の貯蔵場所であり、一階の床張りが引上げ式の戸板となっていて有事の際には それを開いて一階に通じる仕組みです。 一階は、西面が唐破風造りの出格子窓、北面が片流式屋根を持つ出格子窓を設け、共に石落し( 俯射装置)を組み込んで、城外側へ臨戦の備えをなしています。 入口は南面西寄りにあります。 二階は、西面の初層屋根の妻部に千鳥破風の格子窓、西壁に引き違い窓、北面の踊場北窓に唐 破風造りの武者窓、北壁に引き違い窓を設けて、一階同様に城外側への備えを厳しくしています。 その一方で、二階の城内側の東面と南面には雨戸を持った手摺付きの縁側が廻り、内側に明り障 子を立てるなど、日常生活向けの御殿仕様となっていて、月見をはじめとした四季の眺望を楽しんだ り、小宴を催すのに格好の構造となっています。 岡山市教育委員会 岡山さくらライオンズクラブ (全景は、パノラマでご覧ください) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |