(5)天守閣 1階

           


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  ● 天守閣(昭和35年復興)
          鉄筋コンクリート造/3重4偕  本瓦葺き/総瓦枚数63,440枚
          延床面積/1,822平方メートル  総工費/8,000万円
       江戸時代に造られた模型や引図を基に、昭和35年(1960)に鉄筋コンクリート造で復興されました。
       三重四階の天守に付櫓・渡櫓を付した姿となっていますが、現在は内部五階で、最上階の高欄付き
       の廻廊も復興に際して新たに付けられたものです。
       現在の天守閣の中では、甲冑や刀剣、絵図・古文書、考古資料など、小田原城や小田原北条氏の
       歴史を伝える資料を展示しています。

                         


                  


                  


                             


     料金所を過ぎ階段をのぼります。

                  


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  ((全国「天守」高さ比べTOP10−→天守閣の模型−→小田原城再興碑−→上棟式用大工道具−→

     −→二の丸二重櫓鯱瓦−→小田原城の最盛期の姿−→三ツ葉葵紋瓦−→丸瓦刻印−→シアター))


  ●「常設展示室1」 江戸時代の小田原城 
          江戸の西を守る小田原城の役割や徳川将軍家との関わり、東海道の宿場町小田原の繁栄を
          紹介します。

                          


    天守とは
       天守とは城郭内の象徴的な存在で、通常、その城郭内で最も高い建築物です。
       起源には諸説ありますが、天守建築が盛んになったのは戦国時代以降で、その用途はさまざまで
       した。
       江戸時代前期までの天守には居住空間が設けられる場合がありますが、以後の天守の内部は簡
       素な造りになり、倉庫として使われる場合も数多くありました。
       小田原城天守の場合は、三代宝永度天守の最上階に摩利支天(まりしてん)を中心とした神仏像が
       置かれ、信仰空間であったことが確認されています。


  ● 全国「天守」高さ比べ TOP10
       現存天守
          江戸時代以前に建てられ、現在まで残る天守
       復元天守
          かつて城があった場所に、資料に基づき外観等をほぼ忠実に復元する事を目指している。
       復興天守
          建物が存在した事実はあるものの、資料に乏しく忠実な復元ができないため、推定による再建
          を行ったもの。

          大阪城天守・・・・41.5m(望楼型)  所在地/大阪府大阪市  復興天守/5重8階
          名古屋城天守・・36.1m(層塔型)  所在地/愛知県名古屋市 復元天守/5重7階

                      


          島原城天守・・・・33.0m(層塔型)  所在地/長崎県島原市  復興天守/5重5階
          熊本城天守・・・・32.5m(望楼型)  所在地/熊本県熊本市  復元天守/3重6階

          姫路城天守・国宝・・・・31.5m(望楼型)  所在地/兵庫県姫路市   現存天守/5重6階
          小倉城天守・・・・28.7m(望楼型)  所在地/福岡県北九州市 復興天守/4重5階

                           


          小田原城天守・・・27.2m(層塔型)  所在地/神奈川県小田原市  復興天守/3重4階
          広島城天守・・・・・26.6m(望楼型)  所在地/広島県広島市     復元天守/5重5階

          福山城天守・・・・・26.3m(層塔型)  所在地/広島県福山市      復興天守/5重6階
          若松城天守・・・・・25.1m(層塔型)  所在地/福島県会津若松市   復元天守/5重7階

                           


  ● 江戸時代後期に制作されたという天守閣の模型

                             


  ● 小田原城再興碑 小田原市指定文化財
          宝永2年(1705)4月 小田原城天守閣蔵  高さ144.3cm  幅60.5cm  奥行61.2cm
       元禄16年(1703)11月22日夜の大地震により、小田原城は天守をはじめ、ほとんどの建造物が崩壊・
       焼失する壊滅的被害を受けました。
       この再興碑は、藩主大久保忠増による復興の経緯を伝える貴重な資料で、大正12年(1923)の関東
       大地震の際、崩落した天守台の石垣の中から発見されたものです。
     銘文 印刻
       元禄十六年癸未十一月廿二日夜地震     天守城楼回禄翌年春剏再興之事宝永
       二乙酉年四月日天守白楼以下迄外郭     惣石壁築成矣於是彫攻于畳石以誌焉
               従四位相州小田原城主兼隠岐守藤原朝臣大久保氏長忠増再営

                                   



                                 


  ● 上棟式用大工道具  江戸時代 小田原城天守閣蔵
       上棟式に用いられた儀式用大工道具で、矢内高光の作と伝えられています。
       「御殿上棟式図」にこの大工道具が描かれていることから、両者の関連性がうかがえます。

                  


  ● 伝小田原城二の丸二重櫓鯱瓦
         江戸時代 小田原市郷土文化館蔵 高さ135cm 幅83cm 奥行92cm
       鯱瓦は、屋根の最上部にあたる大棟の両端に一対で設置されているものです。
       鯱は想像上の動物で、防火を祈り、権力を誇示するために置かれたといわれています。
       この鯱瓦の発見・伝来の経緯が定かではありませんが、二の丸二重櫓のものと伝えられています。

                                 


  ● 小田原城の最盛期の姿
       この模型は最盛期の小田原城を示す「寛永年間小田原城廊(くるわ)総図(宮内庁図)」を基に再現し
       たものです。
       江戸時代の小田原城は、瓦積みの白亜の天守や常磐木門などの城門、櫓に加え、本丸御殿や二
       の丸御屋形、馬屋、大腰掛などの建物が配置されていましたが、元禄16年(1703)、元禄地震により
       倒壊・焼失しました。

                


  ● 三ツ葉葵紋瓦 江戸時代
       三ツ葉葵紋は徳川将軍家の家紋です。
       小田原城内では、本丸及び御用米曲輪で出土・採集され、御用米曲輪でも数多く出土しています。
       本丸及び御用米曲輪には、幕府・将軍家用施設が存在し、それらの施設に三ツ葉葵紋瓦がふかれて
       いたと考えられています。

                         


  ● 丸瓦「文政四辛巳歳(かのとみのとし)」刻印
       文政4年(1821)の天守修築という記録から、修築に関連して製作された可能性が考えられます。
       同じ年号の刻印をもつ瓦で、小田原藩領河州交野郡私部村(かしゅうかたのぐんきさべむら/大阪府
       交野市)で製作されたものもあることから、この瓦も同様に製作されたものかもしれません。

                    


  ● シアター

                          



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                               ● (入口へ) ●

  

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