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<< 不明門−→東一之門跡−→清正石−→旧二之丸東二之門−→東南隅櫓 >> ● 再び「不明門」を入り、「旧二之丸東二之門」へ向かいます。 ● 東一之門跡 本丸搦手(からめて)の内門で、外門である本丸東二之門とともに枡形を形成していました。 入母屋造・本瓦葺の堅牢な二階建てであったが、昭和20年(1945)の空襲により焼失しました。 ● 清正石 名古屋城で最大の石垣石材。 ここ本丸搦手枡形の石垣は黒田長政の担当でしたが、巨石であるがゆえ普請の名手加藤清正が 積み上げたと伝えられ、清正石と呼ばれてきました。 ● 旧二之丸東二之門 本来は東鉄門(ひがしくろがねもん)という二之丸東の枡形外門で現在の東門の東側にありました。 昭和38年(1963)、二之丸に愛知県体育館が建設されるにあたり解体され、昭和47年に現在地(本 丸東二之門跡)に移築され、平成22年から24年にかけ解体修理されました。 * 振りかえると ● ただいま、本丸搦手馬出(ほんまるからめてうまだし)の周辺において、石垣修復工事を実施しています。 年を経て下部に膨らみが生じ危険度が増した2,000平方メートルをこえる石垣を、解 体し再び積み 直すという、時間と手間のかかる大規模工事です。 2003年の施工開始から現在にかけて、石垣の解体工事が続いています。 解体した石材は、内堀などに仮置きし、保護のためシート等で覆っています。 ● 東南隅櫓 東南隅櫓(とうなんすみやぐら) 古名は辰巳櫓。 かつては西側と北側に多門櫓が続いていました。 昭和27年(1952)の解体修理により、木曽の木材が用いられており、宝永4年(1707)に修理され、 明治になり江戸城の鯱が取り付けられたことなどが明らかになりました。 屋根二重・内部三階で、出窓には「石落とし」が設けられています。 かつては武具が納められていました。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |