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<< 二の丸広場−→埋門跡−→南蛮たたき鉄砲狭間−→ −→二之丸庭園/二の丸茶亭・水琴窟−→二之丸東庭園/南池−→ぼたん園 >> ● 二の丸広場 ● ● 埋門跡(うずみもんあと) 埋門とは、城郭の石垣又は土塀の下をくぐる門をいいます。 埋門の跡は二之丸庭園の西北の位置にあり城が危急の場合、城主はここから脱出することが決め られていました。 この門をくぐれば垂直の石段があり、これを降り壕を渡って対岸の御深井丸(おふけまる)の庭から土 居下を通り大曽根勝川、定光寺を経て、木曽路に落ち行くことが極秘の脱出路とされていました。 ● 南蛮たたき鉄砲狭間 二之丸御殿北御庭の北端の石垣の上に東西に長く伸びた練塀の遺構です。 この練塀は「南蛮たたき」で固められた非常に堅固なものであり、円形の鉄砲狭間が見られます。 名古屋城の遺跡としては、非常に珍しいもので貴重な文化財です。 ● 二之丸庭園へ ● 二之丸庭園 元和年間(1615年〜1623年)二之丸御殿の造営に伴って同御殿の北側に聖堂(金声玉振閣)を 中心として設けられました。 しかし享保(1716年〜1736年)以後たびたび改修され枯山水回遊式庭園に改められました。 名古屋城では「名勝名古屋城二之丸庭園」の保存整備事業に着手しました。 この庭園は、江戸時代、藩主の公私の場であった二之丸御殿内に造営された回遊式の大 名庭園です。 昭和28年に国の名勝に指定されましたが、種子から成長した樹木により、石組みが崩壊し たり、日照不足に起因する下草の生育不全による土砂の流出などが発生しています。 そこで、庭園本来の景観を取り戻すため、まず一部の樹木の除伐を行っています。 その際、石組みを保存するために、当面の間、根を残します。 皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。 ● 二の丸茶亭 現代様式のなかに古典美を生かした建物で素材も木曽の桧が用いられ、点茶のための座敷および 水屋などが造られています。 ● 水琴窟 花の周りの石に水をかけると音が聴こえます (全景は、パノラマでご覧ください) ● 二之丸東庭園 ● 二之丸東庭園は、文政年間(1818-29)に大改造されました。 西隣りにある現在の「名勝・二之丸庭園」と共に、藩主常住の二之丸御殿の庭園を形成していました 「御城御庭絵図」によると、北に権現山、その西に栄螺山(さざえやま)を配し、南に大きな池を設け、 その間に六つの茶席を点在させるなど、広大な規模でありました。 明治の初め、陸軍鎮台分営(のちに第三師団)が郭内に置かれて以来、権現山の南側を削り、池を埋 めるなどして兵営化が進められました。 昭和50年、絵図に基づいて一部の発掘調査を行いました。 それで現れた北池・南池・霜傑亭(茶席)跡・北暗渠の四つの遺構を中心に整備して、昭和53年4月、 「二之丸東庭園」として開園しました。 東庭園の面積は約14,000平方メートルで、付近には、ぼたん・しゃくやくなどの花園があります。 ● 南池 「御城御庭絵図」には、池の北岸に大きな舟形の一枚岩が張り出し中央部に石組みの石組みの島 が描かれています。 発掘調査では、一枚岩は、確認できなかったが、島は現在の池の中に石が三つ並んでいる所の下 にあると推定されます。 池は絵図に描かれているものより大きく頑丈に石組みした深い池で、池に例を見ない規模であった と認められます。 ● ぼたん園 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |