(1)東門→東南隅櫓

                    


                          (名古屋城HPからお借りしました)

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  ● 地下鉄名城線 「市役所」 で下車し、東門に向かいます。

                  


                  


                  


  ● 東門から入ります。

                  


  ● 正門に向かうと、左側に「藤棚」、正面に「東南隅櫓」、右側に「ぼたん園」があります。

                  



  


        



                          (全景は、パノラマでご覧ください)

  ● 左側に「藤下庵/休憩所」が。

                          


  ● 青松葉事件之遺跡(左側)
       慶応4年(1868)正月20日、二之丸御殿向屋敷の庭前で、尾張徳川家の三重臣が斬首され、いわゆ
       る青松葉事件が始まりました。
       昭和の初めに「青松葉事件之遺跡」碑が、ここから南へ約100メートルの処刑地跡に建立されました
       が、その後、所在不明となったので、ここに復元したものです。

                     


  ● 藩訓秘伝の碑(右側)
       この碑文は、初代藩主・徳川義直の直撰「軍書合鑑」の中にある一項の題目で、勤王の精神につい
       て述べています。
       歴代の藩主はこれを藩訓として相伝し、明治維新にあたっては親藩であったのに、勤王帰一を表明
       したといわれています。
       この碑の位置は二之丸御殿跡です。

                         


  ● 東南隅櫓(右側)
       東南隅櫓(とうなんすみやぐら)
         古名は辰巳櫓。
         かつては西側と北側に多門櫓が続いていました。
         昭和27年(1952)の解体修理により、木曽の木材が用いられており、宝永4年(1707)に修理され、
         明治になり江戸城の鯱が取り付けられたことなどが明らかになりました。
         屋根二重・内部三階で、出窓には「石落とし」が設けられています。
         かつては武具が納められていました。

                  


  ● 清正の石曳(左側)
       天守の石垣普請は、加藤清正に割り当てられました。
       巨石を運ぶにあたり、清正自ら石の上に乗り音頭をとったと伝えられています。
       本像は、その様子を模したものです。

                  


                  


  ● 本丸表二之門(重要文化財) (右側)
       古名は南二之門。
       本丸大手の外門で、内門である表一之門とともに枡形を形成していました。
       本瓦葺の高麗門で軒回りは漆喰塗り込めとし、柱や扉に金具を打ち付けています。
       現存する数少ない名古屋城創建時の建造物です。

                          


  ● きしめん亭(左側)

                          


  ● 大手馬出跡(おおてうまだしあと) (左側)
       大手馬出と西之丸との境には、掘と狭い虎口が設けられ、本丸への防御となっていました。
       明治時代に本丸が離宮とされたのち、通行の便のため掘が埋められ今の形になりました。

                  


                  



                          (画像をクリックすると、大きくなります)


                                ● (入口へ) ●



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