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松本城の大天守と乾小天守(いぬいこてんしゅ)をつないでいるのが、渡櫓(わたりやぐら)で、そこに 大手口があります。 頑丈な扉が備え付けられていて、敵が簡単に中へ入れないようになっています。 ● 乾小天守方面へ向かいます。 *松本城天守の構造 1・・壁 鉄砲の攻撃に備え20〜30cmの厚さ。 2・・土台支持柱 天守台石垣の中に16本のツガ材の丸太柱を立て1000トンの重みを支える。 3・・筏(いかだ)地形 軟弱な地盤に基礎を設ける工夫。 堀に面した石垣の下に、長材を直角に並べ筏を組む。 *乾小天守と丸太柱 乾小天守は天守の北に位置するのに、乾と呼ばれるのは、北に叛く、敗れるなどの意があり、 忌み嫌われたからである。 三重四階の櫓は、天守と渡櫓で連結している。 乾小天守は天守と構造が異なり丸太柱が使用されている。 一・二階の10本と三・四階の通し柱12本は丸太材である。 用材はツガ・モミ・アスヒで、表面仕上げは手斧はつりである。 なお柱間は江戸間(6尺=1間)である。 * (乾小天守方面へ)・・・(松本城天守の構造)・・・(乾小天守と丸太柱) ● 乾小天守1階から2階への階段を上ります。 乾小天守二階には、松本城天守の構造や、いくつかの模型、歴代の松本城主に関する資料も展示 されています。 *矢狭間・鉄砲狭間 松本城天守が築造されたのは、慶長5年(1600年)の関が原合戦以前である。 そのため武装強化に意が用いられている。 弓や鉄砲を発射する狭間の数が多いのはっその現れである。 小さい方形のものを鉄砲狭間、長方形のものを矢狭間と呼び、内側が広く外側が狭い。 蓋のない初期的構造である。 (矢狭間60箇所、鉄砲狭間55箇所) * (2階へ)・・・(矢狭間・鉄砲狭間) ● 武者窓 東・西・南の三方に窓があり明るく日が差し込みます。 ● いろいろな資料が展示されています。 * (松本藩主の出自と家格) * (松本城の沿革)・・・(鬼瓦) * (左/離れ六ツ星鬼瓦・松本城主戸田氏の家紋)・・(中/鬼面鬼瓦・降棟の先端に座り四方を睨む) (右/五七桐紋鬼瓦・数正、秀吉から拝領/松本城天守屋根飾る) ● 渡櫓二階 松本城天守は天守と乾小天守が渡櫓で連結し、辰巳附櫓と月見櫓が複合しているので、連結複合 式天守とれる。 渡櫓二階の床面と乾小天守の床面には高低差がなく平であるが天守床面とは大きな段差があって 大変接続がわるい。 南へ向かって狭い3段の階段(1m)を下りた所が天守一階の武者走(むしゃばしり/入側・いりかわ)で 天守一階の床面はそれより50cm高く、渡櫓一階は入側より1.4m低い不思議な構造である。 * (階段を下り天守一階へ) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |