<<黒門−→本丸御殿跡>> (画像をクリックすると、大きくなります) |
松本城本丸へ入る正門で、櫓門と枡形から構成され、本丸防衛のための要の門でした。 本丸御殿が奥書院(黒書院)であり、その入口にあたるので黒門と称したそうです。 * (振り返って) ● 宇宙ツツジ 日本人初の女性宇宙飛行士向井千秋さんと宇宙を旅したツツジの種から発芽させたもので、全日本 花いっぱい館林大会を記念して群馬県館林市から松本市に寄贈されました。 松本市は、花いっぱい運動発祥の地として、長年この運動に取り組んでいます。 平成12年5月1日植樹 ● 松本城保存の功労者の碑 小林有也(うなり)先生 先生は大阪(和泉国泉北郡伯太村)の出身で安政2年(1855)藩の江戸屋敷で生まれた。 初代松本中学校長として来任し29年間子弟の教育に尽くした。 その間、荒廃した天守を憂い、明治34年(1901)天守閣保存会を起して修理に当り(12年間)天守を 倒壊の危機から救った。 市川量造先生 先生は信濃国松本の人、弘化元年(1844)北深志町下横田で生まれた。 明治5年(1872)松本城天守が235両1分と永150文で競売されたのを憂い、幾多の困難を克服して 天守を買いもどし、その保存に貢献した。 後に戸長、県会議員等歴任 * (松本城保存の功労者) ● 管理事務所と売店 ● 本丸御殿跡 広々とした芝生空間が本丸御殿跡です。 本丸御殿は、二の丸御殿・古山寺御殿と共に石川数正・康長父子時代に造営されたと考えられてい ます。 総坪数905坪(約3,000u)総畳数1,560畳の広大な本丸御殿は城主の居所と政庁を兼ねていました 1727年(享保12)正月元旦焼失し機能は二の丸御殿に移され、再建されませんでした。 現在では、本丸庭園として整備されています。 (全景は、パノラマでご覧ください) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |