(5)神廟

                            


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                           <<神廟>>

 ● 久能山東照宮における廟所の「添石垣」について
       重要文化財久能山東照宮廟所の石垣は、元和3年(1617年)の久能山東照宮造営時に築かれました
       が年を経て崩落の恐れが生じました。
       このため、天保4年(1833年)、廟所宝壇西側の石垣の一部に「添石垣」を設けて、石垣を二重にし、当
       初の石垣の崩落を抑えてきました。
       この度の重要文化財久能山東照宮社殿等の修復事業にあたっては、廟所の石垣について創建当時
       の景観に復することとしました。
       後年築かれた「添石垣」は撤去するものの、史蹟久能山の歴史を知るうえで重要な石垣遺構であり、
       その歴史的価値を後世に伝えるため現在地に移設しました。
             平成19年3月     久能山東照宮
                         


 ● 廟所参道を、神廟に向かいます。
       廟門から御神廟までの間をつなぐ参道です。
       左右には家康公に仕えた武将たちが奉納した石灯籠が据えられています。
 
                  


 ● 神廟(しんびょう)
       徳川家康公の遺骸が埋葬された場所に立つ廟です。
       当初、この地には小さな祠が建てられていましたが、三代将軍徳川家光公によって高さ5.5m、まわり8m
       の石塔が建てられ、現在に至っています。
       家康公の遺命に従い、西向きに建てられています。
   東照公 御遺訓
       人の一生は重荷を負て遠き 道を行くが如し 急ぐべからず 不自由を常とおもえば不足なし
       こころに望おこらば困窮したる時を 思ひ出すべし 堪忍は無事
       長久の基 いかりは敵とおもへ 勝事ばかり知てまくる事をしらざれば 害其身にいたる
       おのれを責て 人をせむるな 及ばざるは過たるよりまされり
          慶長八年正月十五日  家康花押
       人はただ 身のほど程を知れ 草の葉の 露も重きは 落つるものかな

                  


                  


 ● 「金の成る木」のいわれ
       ご祭神徳川家康公にまつわる多くの遺話の中に「金の成る木」があります。
       これが左側の杉の大樹がふさわしいかと想われます。
       この杉は、三代将軍家光公当時に植樹されたものといわれ、約350余年を経ています。
       家康公が諸人たちに「金の成る木」を問わせられた。
       これには誰も知らず、公は自ら筆を把られて、三本の木を描き「よろづ程のよ木」「志ひふかき(慈悲
       深き)」「志やうぢ木(正直)」と書かれて、これを常々信用すれば必ず富貴を得られようと仰せられた
       のち細川斎忠興公が、これに左右の枝にとお添え遊ばしてはとなり「あさお木(朝起)」「いさぎよ木」
       「志んぼうつよ木」「ゆだんな木」「ようじょうよ木(養生)」「かないむつまじ木」と。
       左右の枝が繁盛するならば一段と富貴を得られよう。
       皆々この「金の成る木」を写し取って家内のものに教えるようにと命ぜられたという。
       これにちなに誰とはいわず、このところの杉に願掛けとして硬貨をそなえるようになりました。
       ご神縁深き皆様方にも「金の成る木」にあやかられ毎日が心豊かで、すこやかな生活をされますよ
       う祈念申し上げます。
 
                      


 ● 家康公愛馬の霊所

                          


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