(画像をクリックすると、大きくなります) << 天下門−→総門−→妙高院−→梵鐘−→三門−→曙観音−→震災追憶供養碑 >> ● 「天下門」を入ります。 総門の前には東西の外門がありました。 現在は、「天下禅林」の扁額を掲げた西外門(天下門)だけです。 天下禅林は、1628年(崇禎元年)、竹西によって書かれたものです。 人材を広く天下に求め育成する禅寺」という意味。 東外門には「海東法窟」の扁額が掲げられていましたが、現在は法堂に掲げられています。 * (天下門)・・・(天下禅林) * (天下門再建之碑)・・・(天下門裏側)・・・(駐車場) ● 総門 建長寺は今から750年前、鎌倉時代、建長5年(1254)、禅によって国の興隆をはかるため、執権北 条時頼の発願により中国の禅僧大覚禅師(蘭渓道隆/らんけいどうりゅう)を開山として創建された、 日本で最初の純禅の大道場です。 建築は、総門・三門・仏殿・法堂・方丈が一直線に遵なる中国の禅宗様式にもとづいています。 今の総門は、江戸時代、天明3年(1783)に京都・般舟三昧院(はんしゅうざんまいいん)で建立され たものを昭和15年に移築しました。 額「巨福山」(こふくさん/大きな福をもたらす寺)は、中国僧、一山一寧(いっさんいちねい/一山国 師)禅師(建長寺第10世)の筆です。 ● 総門を入ると、右側に拝観受付所 左側に御朱印所があり、三門への参道の両側には牡丹が咲いて います。 * (御朱印所)・・・(参道)・・・(拝観受付所) ● 妙高院(みょうこういん/寺用以外出入禁止) 第二十八世肯山聞悟(こうざんもんご)の塔所。 本尊:宝冠釈迦如来。 ● 梵鐘(重さは2.7t 国宝) (非公開) この鐘は、北条時頼公の発願により広く施主をつのり、開山大覚禅師(蘭渓道隆/らんけいどうりゅ う)の銘文、関東鋳物師(かんとういもじ)の筆頭である物部重光(ものべしげみつ)によって建長7年 (1255)に鋳造されました。 銘文の中に、「建長禅寺」とあります。 左奥は、西来庵(せいらいあん)。開山大覚禅師を祀る塔頭。 現在は建長寺派専門道場を兼ね、雲水の修行道場です。 ● 三門(重要文化財) 三解脱門の略で、桜上に五百羅漢などを安置し、その下を通ると心が清浄になることを祈念してい ます。 安永4年(1775)に、第二百一世住職万拙硯誼(ばんせつせきぎ)が関東一円から浄財を募って再建 したもので、別名「狸の三門」といわれています。 これは三門建立の折、この寺で育てられた古狸がその恩義に報いようと、僧侶の姿に身を代えて 住職の化縁を助けて大活躍したという言い伝えによります。 * 佛弟子十六羅漢第一番 賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ) 神通力第一ト称セラル 撫佛です。どうぞおなぜください。 (全景は、パノラマでご覧ください) ● 曙観音由来記 この像は曙物産株式会社創設者関松由氏の悲願により寄進されたものである。 関氏は西伊豆の人、少年時代志をたてて郷関を出て辛苦精励し横浜中区曙町に曙物産株式会社 を創立。 幾多の積極果敢な怒濤激浪を突破する試練を経て社運の隆盛をこらした。 氏は父母に対する孝養の念やみがたく生前本山に観音像の事を発願す。 特に親子のきづなとも言うべき臍の緒を祀りて長く人の世の幸を請い願う。 用材を台湾花連の大理石に求め原型を伊豆の彫刻家堤達男氏に依頼し花連の彫刻家林聰恵氏 之を刻んで漸く成り像引取りの為台北に渡り完成目前にして突然過労にて8月2日彼の地に客死し 不帰の人となる。 氏の精霊は化して純白の石像となり永遠の時の中にあってこの地に止る。 昭和54念10月6日 曙物産株式会社 代表取締役 関省三 ● 震災追憶供養碑 * (震災追憶供養碑)・・・(山階宮武彦王殿下題額) * (納骨堂) ● 石碑 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |