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<< 天守閣 >> ● 掛川城天守閣 天正19年(1591)から慶長元年(1596)にかけ、山内一豊によって掛川城に初めて天守閣がつくられ ました。 しかし、嘉永7年(1854)の大地震で倒壊し、幕末の混乱の中取り壊されました。 平成5年(1993)、城絵図や古記録を元に木造により復元され、140年ぶりに再建されました。 天守閣は、外観3層、内部4階から成ります。 6間×5間(約12m×10m)の天守閣本体は、決して大きなものではありませんが、東西に張り出し部 を設けたり、入口に付け櫓を設けたりして外観を大きく複雑に見せています。 ● 石落とし 天守台の張り出し部に設けられ、石を落としたり、槍を突き出したりして、石垣を登ってくる敵を攻撃 する施設です。 ● 天守閣へ入ります。 * (掛川城天守閣復元について) ● 1階・・・甲冑などが展示。 (1) (鎧・兜 (革製朱塗紺糸威五枚 胴七間五段下り)江戸時代 山内豊秋氏寄贈) (2) (兜(頭形兜/ずなりかぶと) 江戸時代初期 山内豊秋氏寄贈) * (左/1)・・・(右/2) (3) 軍扇 (金地・紅地に日の丸) 江戸時代 山内豊秋氏寄贈 (4) 軍配 (九曜卍紋鉄丸形) 江戸時代 山内豊秋氏寄贈 * (左/3)・・・(右/4) ● 鞍 江戸時代 太田松子氏寄贈 ● 土佐漆喰 土佐漆喰は、糊を使わず、藁を発酵させて非繊維質を分解したものを使うため、普通の漆喰に比べ て硬く防水に優れています。 壁構造見本 掛川城天守閣の壁ができあがるまでを工程順に示したものです。 工程間の乾燥期間を含めて約1年を費やしました。 (1)小舞い組み 檜(3cm)を縦横に組んでしゅろ縄で結わえます。 (2)荒壁・土壁 赤土にわらを混ぜて練った壁土を小舞いに塗り込みます。 この時にしゅろ縄を縦方向に入れて補強します。 (3)砂摺り横縄張り 砂を入れて粘り気を弱め塗りやすくした壁土を塗ります。 その後、横方向のひび割れを防ぐために、横方向にもしゅろ縄をいれます。 (4)大直し 大きな凹凸を修正します。 (5)むら直し 表面の細かい凹凸を修正します。 (6)中塗り 壁土を塗る作業はここで終わりです。 仕上げのための下地をつくります。 (7)土佐漆喰塗り 壁の表面に土佐漆喰を塗って金ごてで磨いて仕上げます。 * (中/1)・・・(右/2) * (左/3)・・・(中/4)・・・(右/5) * (左/6)・・・(右/7) ● 石落とし 1階の床の一部を石垣の上に張り出させて、敵が攻めてきた時に床板を開け、そこから石を落とした りして攻撃するためのものです。 ● 青森ひば ひばはヒノキ科の常緑高木(別名あすなろ)で、強い芳香と硬い材質は、防虫効果・耐久性等に優れ ています。 ひばの八割が青森県に生育しています。 ● 2階・・・鯱の複製や武者隠しがあります。 ● 鯱(掛川城天守閣据付け原寸大複製) 鯱は想像上の海魚で、火除けのまじまいとされ、古代寺院などの大棟の両端に取り付けられていた 鴟尾(しび)から変化したものと考えられます。 掛川城天守閣では、袋井市油山寺(ゆさんじ)の山門(掛川城玄関下御門を移築)の鯱を参考に、高 知城天守閣の鯱にならって青銅で作られました。 寸法・・長さ95cm 幅35cm 高さ120cm 重量200kg 寄贈 掛川ライオンズクラブ ● 狭間 城郭内の建物や塀に設けられ、内側から鉄砲や弓矢で敵を攻撃するための穴で、掛川城天守閣で は、1階に9ヶ所、2階に14ヶ所あります。 ● 武者隠し * (左画像/太鼓櫓) ● 3階 * (東側) * (南側) * (西側) * (北側) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |