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<< 備前丸−→備前門−→石棺−→帯の櫓 >> ● 大天守閣を出て、石の階段からの先で靴をはき、備前丸(本丸)へむかいます。 石の階段 この階段は、築城当時からのものです。 当時のお殿様や武士も素足で歩かれたことでしょう。 皆様も往時を想像しながら歩いてみてください。 * (靴に履き替えて) * (西小天守)・・・(本丸/備前丸)・・・(階段をおり備前丸へ) ● 備前丸 ここは備前丸という曲輪で、「午前丸」と呼ばれていた時期もありました。 もともと池田輝政の御殿がありましたが、本多忠政が城主になると、御殿は三の丸に移されたとい われます。 敷地面積が狭いため、曲輪内には建物が密集していたとみられ、昭和の大修理では天守台石垣 のすく下で排水溝や建物の遺構が発掘されています。 御殿が三の丸への移った後も、南側の石垣上には二重櫓と長局(ながつぼね)、御対面所などが 建ち並び、曲輪内には御台所(みだいどころ)と折廻櫓(おれまわりやぐら)がありました。 御台所や長局などは明治15年(1882)に失火で焼失し、備前門の一部と折廻櫓だけが昔の姿をと どめています。 * (天守台の下で見つかった排水溝と建物の遺構/西から) 大天守 天守台の東南隅に位置し、外観5重・内部は地下1階・地上6階の造りになっていています。 外観は千鳥破風(ちどりはふ)・大千鳥破風・唐破風(からはふ)を組み合わせ、調和のとれた非常 に美しいものになっています。 西小天守 大天守入り口に達した敵を迎え撃つ最後の場所です。 東天守と対で、外観・内部とも東小天守と同じ造りです。 (全景は、パノラマでご覧ください) ● 備前門 折廻櫓に続く切妻の櫓門で、備前丸への主要な出入口となる城門です。 築城の際、石不足であったため、門のすぐ脇には石棺が転用されています。 * (振り返ると) 石棺 備前門の入口脇にはきれいに加工された直方体の石が縦に積まれています。 これは古墳に埋葬されていた石棺の身で、築城の際に石垣に転用されたものです。 そのほかの石垣にも組合式石棺の側石や底石なども転用されています。 こうした古墳の石棺が積石として多く転用されているのが、姫路城の石垣の特徴です。 築城によって、姫路近辺にあった古墳がいくつも破壊されたことが想像できます。 りの門へ向かう左側に帯の櫓があります。 ● 帯の櫓 (入ることはできません) 帯の櫓は、建物が「コ」の字型に配置された櫓です。 北と東側は多聞櫓で、との四門からの搦手口(からめてくち)通路を上から押さえる位置にあります。 南側は、内部を三室仕切った数寄屋風の建物になっています。 もともとは北と東側「L」字型の多聞櫓でしたが、のちに数寄屋を南側に継ぎ足したことがわかってい ます。 りの門方面へ。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |