(箱根神社HP境内案内図をお借りしました) (画像をクリックすると、大きくなります) << 武道場−→曽我神社(曽我兄弟八百年祭の碑・兄弟杉)−→第五鳥居 >> ● 正参道に戻り上っていくと、右側に「武道場」がみえます。 居合道全国選抜八段戦箱根大会 居合道界最高峰の大会である「居合道全国選抜八段戦箱根大会」は、曽我神社例祭を奉祝 して毎年5月28日に開催されています。 この大会では、居合道「範士」並びに「教士」の称号を与えられた八段剣士の中より、卓越し た技量と人格を備える9名が全国から選抜され、箱根大神、曽我兄弟二柱神の大前に演武 を奉納し居合道の技を競います。 更に全国から参集した初段から現最高位範士九段に至る200余名の剣士も御神前に演武 を奉納します。 曽我神社の御祭神、曽我十郎祐成命・五郎時致命の兄弟二柱神は鎌倉時代の建久4年 (1193)5月28日、富士の裾野で見事大願成就を成し遂げられました。 曽我神社はその佳日が例祭日となっています。 本大会は、御祭神の大願成就より800年後(平成5年)に斎行された曽我兄弟800年大祭を 奉祝祈念して開催されてより、「武士の鑑」と仰がれた曾我兄弟の御事績と御遺徳を顕彰 して毎年盛大に行われています。 大会参加選手の演武奉納を証す芳名板が道場壁面に掲掛されていますのでご覧ください * (正参道)・・・(武道場) ● 右側には「曽我神社」があります。 御祭神 曽我十郎祐成之命 曽我五朗時致之命 例祭日 5月28日(傘焼神事) 由 緒 曽我神社は、鎌倉時代、箱根権現の稚児であった曽我五郎時致と、兄十朗祐成の霊を慰める ため「勝名荒神祠」としてお祀りされたのが始まりである。 江戸時代の正保4年(1647)小田原城主稲葉美濃守正則が石造の本殿を造営し、また平成の御 代に社殿を改修した。 祥月命日には故実による傘焼の神事(写真右)や、居合道の奉納等が行われ、今日なお心願成 就の守護神として崇敬されている。 曽我兄弟は、幼名を兄十郎は一萬、弟五郎は筥王と称した。 安元2年(1176)兄弟が5歳、3歳の時、同族間の所領争いが因で、実父河津三郎祐泰が工藤祐 経に討たれるという不幸に遭遇した。 母満江御前は兄弟の身に危険の及ぶことを恐れ、曽我祐信(相模国曽我城主)と再婚し、兄弟も 曽我姓を名乗り、やがて兄一萬は成人元服して十郎祐成と改めた。 弟筥王は実父の菩堤を弔うべく箱根権現別当の行実僧正の下に預けられ稚児となったが、孝心 やみがたく権現の森の奥深く、杉の木を相手に秘かに武術にはげんだ。 文治3年(1186)正月、源頼朝の箱根権現「二所詣」に従い、参列した仇工藤祐経を眼のあたりに した筥王は、復讐の念に燃え隙を窺ったが果せず却って祐経に諭され、赤木柄の短刀を与えら れた。 建久元年(1190)17歳になった筥王は、出家を嫌い無断で箱根山を降り、元服して五郎時致と名 乗り、兄十郎祐成と共に仇討を決意した。 建久4年(1193)5月16日、心願成就祈願のため箱根権現に参拝した兄弟は、別当行実僧正から 門出の祝儀に宝刀の微塵丸、薄緑丸を授けられた。 折から源頼朝に従って大巻狩中の仇敵工藤祐経を求め富士の裾野へ向った。 そして遂に5月28日夜半、工藤祐経を陣屋に襲って倒し、先年与えられた赤木柄の短刀を以って 止めを刺し、仇討本懐を遂げた。 この時、兄十郎は戦死し、弟五郎は捕えられた。翌29日、五郎は頼朝の面前で堂々と仇討の真 意をのべ、居並ぶ鎌倉武士を感嘆させたが、惜しまれながらも遂に斬首された。 時に十郎は22歳、五郎は20歳であった。 播州・赤穂義士の主君仇討と共に兄弟の孝心、忠節は武士の鑑と仰がれて神社に祀られると共 に、多くの文芸や物語に語り継がれた。 今日尚その誠烈な気風を慕い人々に尊崇されている。 曽我兄弟八百年祭の碑 鎌倉時代 建久4年(1193)5月28日 曽我兄弟が 父親の仇討本懐を遂げ 殉職してから800年 今茲に兄弟の威徳を忍び 平成の大御代に甦りを念って 式年大祭を奉仕し 御本殿造営等幾 多の記念奉賛事業を奉修した。 また曽我物語を出版し 箱根 小田原とその周辺に記念行事を盛んに行い 武道場に於ては 初の居合道全国選抜八段戦と弓道大会を値し 文武両道を興隆して 以て御神徳の宣揚につと めた。 この間790年祭を契機に奉賛会を組織して拝殿の建立と境内整備等の記念事業を奉修し かつ また武道場建設して青少年教化の道場とした 寄託された氏子崇教者各位の御芳志に感謝しつ つ弥栄を祈念する 平成五癸酉年 祥月命日 宮司敬白 謡曲と箱根神社 箱根神社は、(曽我物)と呼ばれる謡曲五曲のうち、次の二曲の舞台となっています。 「調伏曽我/ちょうふくそが」では、曽我兄弟の弟五郎が箱根権現(箱根神社の古名)の稚児の頃 父の仇工藤祐経と会うが仇討ちを果たせず、祐経の人形を作って調伏し決意を新たにします。 「元服曽我」では、兄十郎が権現別当を訪ね、仇討ちのため五郎の元服を懇願し、許されて元服 させ、兄弟で本望成就を誓い合います。 兄弟は、富士の裾野で本懐を遂げましたが、兄は討ち死にし、弟は捕縛、処刑されました。 この曽我神社は、大願成就の守護神として兄弟の霊を祀っています。 また、宝物館には兄弟の由緒の品々が所蔵されています。(謡曲史跡保存会) 兄弟杉 大きい方を十郎杉、小さい方を五郎杉という。 筥王(五郎時致)は、17歳まで当所箱根権現の稚児として奉仕中、亡父の仇討を果たしたい一心 で境内の杉木立を師匠として修練、剣の道を自得したという神木の一つ。 かつては武運めでたい「剣難除けの杉守」として信仰されてきたが滅失し、今は根株に名残を留 めている。 仇敵工藤左衛門尉祐経が参拝の折、五郎に与えた赤木柄の短刀は、国指定重要文化財として 当社に現存する。 右の社は、曽我神社である。 ● 正参道の階段を上り「第五鳥居」をくぐると、御社殿が広がります。 (神楽殿・社務所・儀式殿・神門・拝殿・御本殿・九頭龍神社新宮・絵馬殿) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |