三門

  ● 三門 (県文化財 昭和60年3月19日指定)
       「安禅不必須山水減却心頭に火自涼」
          (あんぜんかならずしもさんすいをもちいず  しんとうめっきゃすればひもおのずからすずし)
       快川国師の遺偈(ゆいげ)が掛けられている門が、県の文化財に指定される三門です。

       山門と書かず三門と書くのは、禅宗の寺でこの位置にある門を三解脱門と呼び、それを略して三門
       と呼ぶからだそうです。
       草創当時の規模はもっと大きかったそうですが、織田信長の手で焼かれたため、現在のものは小
       規模。
       平成 4年(1992)に解体修理が施されているが、そのさい屋根を柿葺きに復元しました。

       信長が焼き討ちのとき、三門楼上で百余人の信徒とともに、火定(かじょう)に入った快川国師が遺
       偈した「安禅は必ずしも山水を須いず…」という物語は有名です。

       構造は一門一戸、楼門形式、この門を「三門」と称するのは仏殿前に位置し仏殿を法空・涅槃に擬
       し、そこへ入る端緒たる三解脱すなわち空門、無相門、無願門の意による三解脱門の略。
       四本の隅通し柱は、階下が角柱造り、階上部分を円柱造りとする技巧を凝らし、実肘木、板肘木、
       木鼻などに見られる渦巻状の絵様は室町末期から桃山期にかけての名作技法です。
       小規模ながら総体的に溢れる重厚・荘厳さは、同時代の建造物の中でも逸品とされています。

                          


                  


  ● 観桜の詠歌   大僧正信玄
           誘引ずば くやしから満し さくら花
                  実こんころは 雪のふるてら
       桜花らんまんのころ快川国師の招きで恵林寺を訪れた武田信玄が、みごとに咲き競う三門両袖の
       桜に見ほれて詠んだもの。
           信玄直筆の詠歌色紙は信玄公宝物館に保存されています。

    * (三光亭文堂会元禅師之像)・・・(観桜の詠歌/大僧正信玄)

                      



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