(3)粧太夫碑→夫婦狛犬

                               


   * (ち)初代市川猿翁句碑・・・(り)百度石・・・(ぬ)『友情はいつも宝物』碑

      (る)粧(よそおい)太夫碑・・・(を)久保田万太郎句碑・・・(わ)川口松太郎句碑・・・(か)夫婦狛犬


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   (ち) 初代市川猿翁句碑
       「翁の文字 まだ身にそはず 衣がえ」 猿翁
         建碑  昭和42年5月17日
         撰文  市川猿翁
          孫団子に三代目猿之助を譲り、自らは猿翁を襲名。
          昭和38年5月、歌舞伎座に於て襲名興行。  (浅草寺の襲名お練り行列は4月16日)
          『猿翁』(昭和39年6月東京書房刊)には、
             「翁の文字まだ身にそはず 衣がへ 猿翁 昭和37年5月猿翁襲名のとき」とある。
          明治21年5月10日、浅草千束町2丁目に生まる。
          父、喜熨斗亀次郎(初代市川猿之助ー段四郎)、母古登の長男。
          (弟妹は十人)兵役を終えたのち明治43年10月(22才)で二代目市川猿之助を襲名。
          昭和38年6月聖路加病院(心不全)にて死去。享年75才。
          昭和36年3月28日浅草3丁目39番地に生家に因みて「猿之助横丁碑」を建てる。 浅草観光連盟

                  


   (り) 百度石

   (ぬ) 『友情はいつも宝物』碑
       友情は  いつも宝物
         1976年に「週刊少年ジャンプ」で連載を開始して以来、多くの人々に愛されてきた「こちら葛飾区
         亀有公園前派出所」。
         物語の舞台となるここ浅草は、主人公である両津勘吉を育み、また多くの感動を生み出してきま
         した。
         この碑は、両津勘吉の少年時代の友情を描いた「浅草物語」にちなみ人を思いやる気持ちの大
         切さ、そして子供たちが夢や遊び心を忘れず健全に成長してくれるよう願いを込めて建てられま
         した。                平成17年8月6日 建立
       「浅草物語」概略
         ある日、浅草で一緒に遊んだ同級生が偶然再会。
         かつての悪ガキ両津勘吉は警察官に、かつての優等生は、逃亡犯になっていました。
         両津は、子供の頃にここ浅草神社(三社様)の神木、槐(えんじゅ)の木の下に一緒に埋めた。
         ベーゴマの話を持ち出して二人の友情を確かめ合いました。
         そして、逃亡犯は自首することになったのです。
         ジャンプ・コミックス「こちら葛飾区亀有公園前派出所」57巻「浅草物語の巻」より
       「こちら葛飾区亀有公園前派出所」
         作者・・・・秋本治   連載開始・・1976年週刊少年ジャンプ(集英社)
           両津勘吉  職業・・・警察官(巡査長)  誕生日・・3月3日
                   出身地・東京都台東区千束
                   身長・・約162cm  体重・・約71kg  特技・・自転車乗り

    * (百度石)・・・(友情はいつも宝物 碑)

                                 


  (る) 粧(よそおい)太夫碑(蕋雲(ずいうん)女史書の柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)碑)
         ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に   島かくれゆく 船をしぞ思う
       有名な万葉歌人柿本人麻呂の和歌を万葉仮名で刻んだもので、骨太な文字を認めたのは、碑文に
       あるように蕋雲女史である。
       蕋雲は文化年間(1804〜1817)、遊里新吉原の半松楼に抱えられていた遊女で、源氏名を粧太夫と
       いい、蕋雲はその号である。
       粧太夫として当時の錦絵にも描かれており、書を中井敬義(なかいたかよし)に学び、和歌もたしなむ
       教養ある女性で、江戸時代の代表的な文人、亀田鵬斎(かめだほうさい)から蕋雲の号を送られたほ
       どの人物であった。
       この歌碑は、人麻呂を慕う太夫が、文化13年(1816)8月、人丸社に献納したものである。
       人丸社は幕末の絵図によると、三社権現(現在の浅草神社)の裏手にあったが明治維新後に廃され
       碑のみが被官稲荷神社のかたわらに移され、昭和29年(1954)11月、現在地に移された。
                          平成8年3月 台東区教育委員会

                                 


  (を) 久保田万太郎句碑
       竹馬や いろはにほへと ちりぢりに
          久保田万太郎は東京の人   明治22年11月7日生まれ 昭和38年5月6日にわかに逝く 
          慶應義塾在学中年22のとき小説朝顔の一篇によって文壇に知られて以来五十年 
          小説戯曲及び俳句二名作多く  日本技術院会員に選ばれ 
          後に文化勲章を授けられたのはその栄とするところとせらる
          久保田は浅草に生まれ浅草に人となり 観世音周辺一帯の地の四時風物とその民俗人情を描
          いた大小の諸篇は日本文学に永く浅草を伝えるものというべきであろう
          ここに有志の者等相圖り この地をとし 句碑を建てて其人を偲ぶ
                         昭和40年11月7日   小泉信三

                               


                         


  (わ) 川口松太郎句碑
       川口松太郎ハ明治32年10月1日浅草今戸ニ生レル
       昭和10年第一回直木賞受賞ノ「鶴八鶴次郎」ヲ初メトシテ小説脚本ニ名作多ク文壇劇壇ニ多大ナ足
       跡シルス
       特ニ新派俳優花柳章太郎水谷八重子等ニヨッテ演ジラレタ情緒豊カナ諸作品ハ観客ヲ魅了ス
       這般ノ功績ニヨリ38年菊池寛賞受賞 40年芸術院会員 更ニ44年「しぐれ茶屋おりく」ノ一篇ニヨリ吉
       川英治文学賞受賞  48年文化功労者ニ叙せられる
       最晩年渾身ノ筆デ連載小説「一休さんの門」ヲ脱稿後昭和60年6月9日永眠ス  行年85才
       三回忌ニ因ミ故人ノ終世ノ師久保田万太郎ノ傍ラニ同ジク句碑ヲ建テテ這者ヲ偲ブ
          生きると いうこと   むずかしき 夜寒かな
               昭和62年6月9日
                          松竹株式会社 文芸春秋社  劇団新派  講談社  
                          明治座   読売新聞社   浅草観光連盟

                                 


  (か) 夫婦狛犬
       年代・・・不明
       銘文・・・台座上部正面「諸願成就」 本体左側「品川町裏河岸 鈴木吉・・・」以降読み取り出来ず
       分類・・・「先代江戸初め」   1600年代後半〜1700年前半
          体はやや小型。素朴な形で彫りも浅い。首は曲げずに正面を向きます。
          頭にははめ込み式の角が付いていましたが、現在は残念ながら残っていません。
          神使として、聖域を守る役割を持つ狛犬は、一対で置かれる事が多く、互いに寄り添い合うこの
          狛犬に相合い傘をさし、「良縁」「恋愛成就」「夫婦和合」の願いを込めて祀っています。

                        



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