(1)戸隠神社→笹塚稲荷

                               


           (1)菅公一千百年祭記念・・(2)奇縁氷人石・・(3)菅家遺戒碑・・(4)筆塚/泉鏡花

           (5)小唄顕彰碑・・(6)牛像/撫で牛・・(7)包丁塚・・(8)銅鳥居・・(9)新派碑

                         (10)ガス灯・・(11)努力碑/王貞治

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  ● 「車祓所」脇の「夫婦坂」を上っていきます。

    * (車祓所)・・・(夫婦坂)

                      


                  


                          


                  


                  


  ● 夫婦坂を登ると、右側に「戸隠神社」と「笹塚稲荷」が。
     ● 戸隠神社(長野県戸隠神社の分社)
          祭神:天之手力雄命、例祭:10月10日   道真公が祀られる以前からの地主神。

                  


                          


                       


     ● 笹塚稲荷神社
         祭神:宇迦之御魂神、 例祭:3月旧二の午の日

                  


    * (中/本殿裏)

                  


  ● 都々逸之碑
       都々逸は、日本語の優雅さ言葉の綾言回しの妙などを巧みに用いて人生の機微を二十六字で綴
       る大衆の詩である。
       古くより黒岩涙香平山蘆江長谷川伸らの先覚者により普及し、われわれとその流れの中で研鑽を
       重ねて来た短歌俳句と並ぶ三大詩型の伝統を守り、更なる向上と発展を願い各吟社協賛の下詩
       歌の神の在すこの地に碑を建立する
                 平成20年12月吉日 世話人谷口安閑坊 吉住義之助

  ● 菅公一千百年祭記念/特別奉賛者芳名

    * (都々逸之碑)・・・(菅公一千百年祭記念特別奉賛者芳名)

                             


  ● 王貞治氏の「努力の碑」  高さ2.3メートル
       銘文
         王貞治君は、昭和52年9月3日午後7時10分5秒、後楽園球場において通算本塁打756号を
         達成、前人未踏の世界記録を樹立しました。
         これをたたえて政府は、わが国初の「国民栄誉章」を贈り、また球界最高の「正力松太郎賞」初
         の受賞者となりました。
         これは、昭和33年読売巨人軍に入団以来試練の嵐に耐え、心技を研鑽した努力の結晶であり
         ます。  王君は、これを記念し崇敬する湯島神社に、白梅一樹を献木いたしました。
         ここに有志相集い、王君の生涯の座右銘である「努力」の碑を建立、もって青少年の亀鑑とする
         ものであります。    昭和53年1月1日
                  有志代表
                     読売新聞社社主読売巨人軍オーナー 正力  亨
                     読売新聞社社長              務臺 三雄
                     日本テレビ社長              小林與三次
                     セントラルリーグ会長           鈴木 竜二
                     湯島神社宮司               押見 守康
                             刻               山田 光造

                                      


  ● 授与所

                          


                         


                  


                  


                         


  ● 天神石坂(天神男坂)
       38段の石段坂である。  別名は天神男坂。
       すぐわきにある、ゆるやかな坂・女坂に対して男坂という。
       江戸時代の書物”御府内備考”によると、湯島神社(天神)参拝のための坂であったが、その後、本
       郷から上野広小路に抜ける通り道になったという。  文京区教育委員会  平成3年3月

                          


  ● 男坂の脇に「復興地蔵尊」が。
       復興地蔵尊由来  佐久間達夫氏遺構より
         1923年(大正12年)9月1日の関東大震災は東都に未曾有の惨禍をもたらした。
            (死者行方不明者 約10万人超)
         当時の町会長を中心として有志は罹災者の安寧と早期の復興を願い元禄7年より約300年来火
         伏寺としての伝統を持つ心城院の協力を得て「災害復興地蔵尊」(向って右側)を当地に建立し震
         災で亡くなった方々の冥福と地元の平和発展を祈った。
         その後1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲では隣接町会がほとんど焼土と化したなかで、
         当町会は一軒の損失もなくその難を免れた。
         これは「お地蔵さん」の御加護によるものと往時の人々の心に深く刻まれた。
         左に奉安の尊像は戦後復興の兆しがみえてきた頃のある朝突如出現された由緒こそ定かでは
         ないが、お心安らかなそのお顔はいつしか「幸せ」を呼ぶ地蔵尊として親しまれている。
         この二体の地蔵尊は地元天二町会をはじめ近隣地域の大切な守護尊としてその繁栄を見守っ
         ています。
         毎年9月1日には宝前で供養会が営まれています。
           天二町会  天二町会リサイクル推進委員一同
         復興地蔵尊ご真言   「おん かかか びさんまえい そわか」
            維持 平成24年9月1日   湯島聖天 心城院第20世代 之建

                                     


                         


  ● 女坂
       三十三段の石段坂で、すぐ脇にある、急な坂・男坂に対して女坂といいます。
       梅まつりの頃には男坂と女坂の間の白梅が咲そろいます。

                          


  ● 男坂・女坂のどちらから登っても、鳥居になります。

                          


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                                ● (入口へ) ●

 

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