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<< 薬師堂参道−→東屋−→薬師堂休憩所−→采女霊神−→手水舎−→ −→イチョウ−→野津田薬師堂−→稲荷社 >> ● 太鼓橋を渡り、道をはさんでトイレがある道をのぼっていきます。 ![]() ![]() ![]() ● 右側に「薬師堂参道」があります。 ![]() ![]() ![]() ![]() ● 参道の階段を登ると、すぐ右側に東屋があります。 ![]() ![]() ![]() ● 階段を登ると目の前に「薬師堂休憩所」が。 ![]() ![]() ![]() ● 采女霊神(うぬめれいじん)のゆらい 天津児屋根尊の子孫である北小路左衛門慰藤原春公の三男采女介が、天文年間(1,532年〜1,555年) に髪結職を創始した。 降って十一代の長七郎が三方原合戦の時、徳川家康公におともして天瀧川で浅瀬を案内したことによ って、銀、銭、刀等を賜り、天正18年(1,590年)江戸城に召された。そして町奉行所に関する仕事を授け られ、長脇差を許される等、特典を与えられ多いに用いられた。 これを記念して、春公27代の藤原半蔵基之が、その大要を由緒書きによって石に刻み、同好諸氏に示 したものである。 町田理容組合 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ● 手水舎 ![]() ![]() ![]() ● 保護樹木 イチョウ イチョウ科 町田市指定NO.2 樹高35.0m 幹周り4.8m このイチョウは、明治9年の崖崩れで3mほど埋まり、大木特有の堂々たる根張りは地中に隠されて います。 このイチョウは、雄木(おすぎ)なので実はつきません。 はるか薬師池を見下ろす豪壮たる樹冠はすばらしい。 2000年7月13日指定 ![]() ![]() ![]() ● 野津田薬師堂 正しくは普光山福王寺。 室町時代末には、荒廃していたのを元亀4年(1573)僧興満が再興しました。 薬師池とは薬師堂の麓の池の意味であり、江戸時代には福王寺溜井といわれていました。 昭和51年(1978)、町田市より福王寺園地が薬師池公園として整備されました。 池のほとりから薬師堂までの参道に植えられた50本の桜の木は、昭和31年(1956)に町田市の理容 組合によって寄進されたものです。 境内にまつられた髪結職創始の采女霊神碑は、今も理容組合により護られています。 野津田のお薬師様として慕われるお堂は、中央に薬師如来様をおまつりしています。 本尊は秘仏のため、普段は御前立をおまつりしています。 本尊様の両脇には日光菩薩様と月光菩薩像様が、さらにその両側に六体ずつ十二神将様がまつら れています。 現在の建物は、明治16年(1883)に再建されました。 総欅造りで、繊細な彫刻と狩野派の絵師による天井絵(狩野信矩・筆)が特徴です。 丸柱の上には贅沢に木組みがされ、柱の上部には堂内に二匹、外には十三匹の獅子が彫られて います。 正面入口上の獅子が抱えるまりは、中の玉がころころと動くように彫りぬかれています。 賽銭箱の上の龍の彫り物や、御堂と外の角柱を繋ぐ蝦虹梁は、龍を透かし彫りにした特に素晴らし い作品です。 本尊秘仏薬師如来(町田市指定有形文化財) 本尊の薬師如来様は、寺の巻物によると天平年間(8世紀)に行基菩薩様が彫られたものであると 記され、古来より眼病に御利益のある仏様として信仰されてきました。 付近の素人的仏師の手によるものと推定され、らほつを始め、衣部のひだや体の微妙な肉取りな どが省略された、極めて素朴な表現の仏様です。 町田市の学術調査の結果、構造や技法から平安後期11世紀頃の作と推定され、昭和62年町田 市内最古の木造仏として市の有形文化財に指定されました。 武相寅歳薬師如来霊場の第18番札所として、12年に1度、寅歳の春に1月間だけ扉が開かれ、拝 観する事ができます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ● 稲荷社 御祭神 天照皇大神・伏見稲荷大明神・野津田神社・笠森稲荷明神 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |