JR稚内駅

                           


                        (画像をクリックすると、大きくなります)


   ● 稚内駅
        日本で最も北にある宗谷本線の鉄道駅(北緯45度24分44秒)で、昭和3年12月26日開業しました
        日本国有鉄道(国鉄)時代より、鹿児島県・指宿駅と姉妹駅提携を結んでいます。
        駅名の由来
           アイヌ語のヤム・ワッカ・ナイ(冷たい飲み水の沢)を音訳したものからきているそうです。
        宗谷線開業当初は現在の南稚内駅の場所にありました。
        稚内港まで2km近くあるため利尻島、礼文島、樺太航路への乗り換えは不便でしたので、昭和14
        年に現在の稚内駅(開業当時は稚内港駅)まで延長。
        構内に標柱「日本最北端の駅」、看板「最北端の線路」があります。
        平成23年4月3日に新駅舎が開業しました。

                          


        最北端の線路(最南端から北へ繋がる線路は、ここが終点です)
              指宿枕崎線西大山駅 ←−−−→ 宗谷本線稚内駅
             (昭和35年3月22日開駅)       (昭和3年12月26日開駅)

                  


    * (改札口)・・・(日本最北端の駅)

                  


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    稚内港駅
        大正13年(1924)に樺太連絡船の待合所として建設されました。
        木造平屋建てながら、天井は高く、外観は二階建て風に見えます。
        昭和3年、海上に橋脚を立て、鉄道を延長した際に「稚内港駅」と改称されました。
        昭和13年に北防波堤構内に「稚内桟橋駅」が完成したのを機に、その役目を終え翌14年からは
        旧稚内駅が南稚内駅に改称され、稚内港駅が稚内駅となりました。

                          


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   ● 地域交流センター「キタカラ(KITAcolor)」
        北から創(はじ)める。 KITAcolorに染まる。  日本の一番北に位置する稚内から創まり、日本全
        国に・・・  最終的には世界各国まで、稚内の色に染めていきたい。
        そういう思いを込めたネーミングです。
        ジュニアからシニアまで誰もが集い憩える場として、地域活動や世代間交流、親睦を促進するため
        の施設で軽食をとることもできます

       * (右画像/駅構内にあります)

                          

   ● 彫刻「カネポッポ」
        JR東日本の山下会長が日本経済団体連合会の日ソ経済委員長に就任した際、鉄道同志の友好
        親善を促進する話し合いが行われた。
        会長の命を受けてソ連、後にロシアとの交流に参加。
        その時、ファジェーエフ鉄道大臣の依頼を受け、サハリンの鉄道を視察。
        鉄道車両は古く保守の苦労を目のあたりにした。
        当時のワシリエフ鉄道局長の要請を受け、1993年JR東日本の車輌を改修してサハリン鉄道に無
        償で譲り渡すことで基本合意、32両が船で運ばれた。
        ロシア側から友好の返礼として鐘の寄贈をうけた。
        鐘は日本の高岡でつくられたもので、サハリンでは、機関車の汽笛代わりに使われていたと伝え
        られている。
        ここに彫刻家 流 政之により「KANE POPPO」として新稚内駅のよみがえり、日本とロシア、鉄道員
        の友情と絆で旅人を迎える。

                      

  

                         (画像をクリックすると、大きくなります)


                               ● (入口へ) ●

 

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