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<< (13)案内板(本丸南側枡形虎口)−→(14)案内板(本丸への木橋)−→ →金比羅社への階段−→信濃曲輪方面へ−→(9)案内板(行き止まり曲輪)→ −→案内板(滝山公園解説) >> ● 本丸広場に戻り、「滝山城本丸跡の碑」と「史跡滝山城趾」の右側から下っていきます。 ● (13)案内板「本丸南側枡形虎口(小宮曲輪からの城道)」 本丸の主たる出入口は二ヶ所ある。 一か所は中の丸から引き橋を渡って入る虎口。 もう一か所は南側に設けられている。 枡形は敵の直進を防ぐための工夫である。 もし敵がこの虎口に侵入すると、体の左側に城兵の攻撃を受けることになる。 現在でも枡形が大変よく残っている城郭遺構である。 ● 下っていくと、標識「←滝山城跡 ↑本丸跡 東秋川橋→」 ● (14)案内板「本丸への木橋(最終的な砦へ導く橋)」 当時の木橋はもう少し下に架けられていた。 おそらく、中の丸に敵が押し寄せてきたら本丸へ半分程度引き込むことができたと思われる。 人工的に掘られた大堀切の上に架けられており、本丸が最終的な砦となっていた様子がわかる。 「大堀切」はもっと深かったことが試堀によって確認されている。 ● 標識「東秋川橋→」に従って、木橋をくぐっていきます。 ● 左側に長い階段があり、登っていくと「金比羅社」に。 ● 木橋の下に戻り、斜め右の広場へ ● 標識「←滝山城跡」に従って登っていきます。 ● すぐ標識「←二の丸 ↓中の丸 本丸→」。 先ほどの「中の丸」への分岐で「二の丸」方面へ ● 標識「←本丸・中の丸 ↓滝山城址下/バス停 信濃曲輪→」を「信濃曲輪」方面へ。 * (左画像・・東馬出) ● (9)案内板「行き止まり曲輪(ふくろのねずみ)」 「行き止まりの曲輪」とは「ふくろねずみ」という意味で、両端が狭い土橋になっていて行き止りのよ うな形になる。 寄せ手側には行き止まりのからくりだが、城兵からすると格好な馬出(うまだし/出撃用)となり、実に 巧妙な防御が施されている。 こうした「行き止まり」の曲輪は二の丸の南側にもあり、大変貴重な城郭遺構である。 ● 少し広い場所になり、案内板「滝山公園解説」があります。 滝山公園 この城の大きな特徴は、二の丸の防御方法にある。 二の丸へは三方面から侵入できるが、どの方面にも「馬出」という平場が備えられている。 その中の二ヶ所は方形の平場で「角馬出」と呼ばれている。 寄せ手(敵方)はこの馬出を占領しなければ、二の丸へは侵入できなかった。 こうした二の丸防御の堅固さから、永禄12年(1569)10月、甲斐武田信玄との滝山合戦にお いて城主氏照は二の丸櫓門の上で奮戦し、敵を退けたと軍記物に語られるようになった。 軍記物の記述の真偽はともあれ、このとき氏照は自らの書状で古甲州道沿いの城下「宿三 口/しゅくみくり」へ兵を繰り出し戦ったと、越後の上杉謙信に伝えている。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |