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<< 霊迹壇−→香菜圃−→看花榻−→大銀杏−→臨えい岡−→ −→有年場−→銀河渓−→大ソテツ−→清風池−→迎暉峰−→薬草園 >> ● 霊迹壇(れいせきだん/十王堂) 約200余年前の天明年間に洪水があり京橋川が氾濫した時、川上から大小三体の仏像(木造)が 漂着したため、お堂を建立して安置したものと伝えられています。 原爆のため、お堂と大きな仏像二体は焼失しましたが、小さい仏像一体は奇跡的に小破したまま 残ったためお堂を再建して安置しています。 堂内の仏像は平安時代後期頃(1100年頃)の作と思われる寄木造りの十王像です。 ● 香菜圃(こうさいほ) 3区に分けて、宇治茶と藩内の有名品種の茶を植えている茶畑。 昭和38年(1963)に種を蒔き、被爆前の姿に復元した。 毎年八十八夜前後に新茶摘みが行われている。 ● 看花榻(かんかとう) 座席はロクロ式に作られ、回転するようになっていました。 この場所で、藩主が対岸の東照宮に続く桃林の花や京橋川を行き交う川船を眺めていたといわれ ています。 昭和44年(1969)に復元されました。 ● 大銀杏(看花榻のすぐ下です) このイチョウは、昭和20年(1945)原子爆弾投下後の火災から生き残った木の一本です。 幹周りは約4m、木の高さは約17mで樹齢は推定200年以上と言われています。 爆風で傾いたため、倒れないようにと梢や枝を切りはらっています。 被爆イチョウの種として、海外に贈られ、平和を訴えています。 ● 臨えい岡(りんえいこう) この丘一帯は臨えい岡と呼ばれ、この場所から遠く宮島を望むと、雲のかかった弥山(みせん)山 頂が見えたといわれています。 ● 有年場(ゆうねんじょう) 小さな水田で、藩主が田植えをして、その年の五穀豊穣を祈願したと伝えられています。 ● 景色を楽しみながら行くと、「銀河渓」と呼ばれる場所になりいくつも橋を渡ります。 (全景は、パノラマでご覧ください) ● 大ソテツ(樹齢推定300年以上) ● 清風池 ● 迎暉峰(げいきほう) 園内最大の築山で富士山を縮景表現したとも言われています。 この頂上から広島城下や広島湾、はるか宮島まあで望むことができたといわれています。 大名庭園には、このような山を築き、天守閣の役目をする場所となっていたようです。 ● 薬草園 寛文3年(1663)の記録に、園の東方に薬草園があり、救急に備えているとあります。 藩主が薬草の自給自足を目的として栽培していたものです。 この薬草園は、東京小石川薬草園のご協力により、昭和40年(1965)頃から復元し平成8年(1996) から薬学博士 神田博史先生のご指導を受け、植裁整備を行っています。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |