(4)向唐門→放光堂

                               


                       (画像をクリックすると、大きくなります)

 

  << 向唐門−→金鶏門−→中雀門−→与謝野晶子歌碑−→玉兔門−→

               −→衆寮−→鐘鼓楼−→宝篋印塔−→放光堂−→興林門−→

                               −→北部玉兔門−→北部金鶏門−→御霊殿 >>

   ● 向唐門(むかいからもん)
        後醍醐天皇から「日域無双の禅苑たるにより、曹洞出世の道場に補任す」との綸旨を賜り、以後、
        歴代天皇より勅願寺として仰がれましたので、「勅使門」の名を残しています。
        禅師の入山式や、正月・7月のみたままつり・11月の御移転記念日の時に開扉されています。

                      


      * (中雀門方面から)

                  


                   


                          


                             


   ● 金鶏門(きんけいもん)
        金鶏とは、星の中に住む想像の鶏、あけのとり、従って朝をあらわします。

                      


                  


      * (仏殿方面から)

                  


   ● 中雀門(ちゅうじゃくもん)
        中雀とは、鍮石(ちゅうじゃく)、 つまり真鍮の異名、昼をあらわします。

                   


                  


                          


      * (仏殿方面から)

                  


   ● 与謝野晶子歌碑
        胸なりて われ踏みがたし 氷より すめる 大雄宝殿のゆか

                             


   ● 玉兔門(ぎょくともん)
        玉兔とは、月に住むウサギのこと、月のこと、夜をあらわします。

                  


                          


      * (仏殿方面から)

                  


   ● 衆寮(しゅりょう)
        当初は僧堂でしたが、現在は坐禅堂として一般参禅者に開放されています。
        中央に准胝(じゅんてい)観音像が祀られています。
        僧堂の文殊菩薩はやや趣を異にして慈悲を象徴し、江戸期に尾張・徳川家から寄進された像です
        扁額「古教照心」は、文字どおり祖録等の看読所(学問所)をさしており、お祖師様方の教えの光に
        よって心を照らせ、心をみがけ、という意味です。
        本山中興の祖・石川素童禅師の揮毫が刻まれています。
          衆寮内部【衆寮内部】
             中央が准胝観音像(尾張徳川家からの寄進) 脇侍は難陀竜王・跋難陀竜王。

                  


   ● 鐘鼓楼(しょうくろう)
        鐘鼓楼は放光堂から衆寮に通じる回廊の中にあります。
        禅門の行・住・坐・臥、日常生活の合図は、すべて言葉ではなく梵鐘、木版、雲版、太鼓などの打
        楽器群の合奏によって、全山に休まず有時を刻み、報知されます。

                                 


   ● 廊下したのトンネルを通って「放光堂」方面へ

                          


   ● 宝篋印塔
        被災霊骨奉祀由来
           昭和45年3月6日午前零時5分、不測の殃禍により、常照殿及び西部接賓等の隣接建物が一
           瞬のうちに烏有に帰した。
           常照殿は、檀信徒の霊骨を合祀する納骨堂にして、これが焼失は痛恨の極みであり、如何に
           慰霊の方途を講ずべきか熟慮の結果、名古屋万松寺より伊藤覚典師代に寄贈されたこの宝
           篋印塔に被災霊骨を合祀し、以て慰霊の誠を捧げ冥福を資助せんものなり。
                        昭和45年4月1日    大本山 総持寺

                         


   ● 放光堂(ほうこうどう)
        山形県鶴岡市よりの移築で明治44年(1911)11月5日落成し、最初に法要が厳修された記念すべ
        き建物です。
        この堂宇は安政年間に山形・鶴岡の総穏寺本堂として建立されましたが、總持寺移転に際して特
        別に献納された由緒があり、当時は、大祖堂として中心的な役割を果たしました。
        現在は全国檀信徒の永代供養のご位牌を祀り、日夜回向しています。

                          


                  


   ● 興林門

                  


   ● 北部玉兔門(ぎょくともん)

                      


                          


   ● 北部金鶏門(きんけいもん)

                      


                  


   ● 御霊殿(ごれいでん)
        昭和12年(1937)、後醍醐天皇の600年御遠忌を記念して建立されました。
        後醍醐天皇は、太祖・瑩山禅師の高い徳風の評判をお聞きになり信仰上の10か条にのぼる疑
        問を提示されたところ、禅師は見事にお答えになったことから、元亨2年(1322)、「曹洞出世の道
        場」の綸旨を下賜され、總持寺は官寺に昇格しました。
        御霊殿には、後醍醐天皇の尊像、尊儀をはじめ、後村上天皇、後奈良天皇、後陽成天皇、明治
        天皇、大正天皇、昭和天皇の各ご尊儀が奉安されています。

                  



                         (画像をクリックすると、大きくなります)


                               ● (入口へ) ●

 

HTML Builder from Excel   作成:QQQ