親不知コミュニティロードコ-ス
2011.11.03
              

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北陸自動車道・親不知IC下り、右折し国道8号へ。
「風波トンネル」・「親不知トンネル」を出ると右側に「親不知観光ホテル」があり、その前に無料
駐車場があります。

    * (無料駐車場)・・・(親不知観光ホテル)

        


駐車場の奥に標識(←親不知コミュニティロード
                 日本海・栂海新道起点400m/急勾配 高低差80m↑)
「栂海新道起」への階段は、残念ながら閉鎖されていました。
「親不知コミュニティーロード方面」への階段を上ります。

    * (栂海新道起点への階段)

        


階段を上がり親不知観光ホテル脇には、看板「親不知文学散歩」(詳しくは前項に記載してあ
ります)が。

    * (親不知観光ホテル)・・・(看板/親不知文学散歩)

        


    * (北陸自動車道方面)

                  


               

 


少し進むと東屋があり、脇に青海八景「四世代道暮色」の標柱あります。
  青海八景「四世代道暮色」
    初代/旧北陸道 二代目/天嶮開削道 三代目/天嶮トンネル 四代目/北陸自動車道
また「佐渡方面」・「能登方面」が見えるはずですが、残念ながら霞んで見えません。

    * (青海八景/四世代道暮色)

            


    * (親不知旧道)・・・(佐渡方面)・・・(能登方面)

        


東屋内には天嶮・親不知の全景の模型があります。
模型の下部には番号があり、説明の掲示板が添えられています。

        


    * (右画像/1・2・3)

       


  1弁慶の力水
     旅人は、弁慶が見つけたというこの湧き清水でのどを潤し、親不知の難所に立ち向か
     ったという。
  2波除観音
     波に愛児をさらわれた母親が観音様に祈ったところ、打ち返す波に乗って子供が帰っ
     てきたので祀られたという。
  3髭剃岩
     波をよけてしがみついたが、ずり落ちて髭がすり切れたという岩。
     また、この辺り一帯を「弁慶の泣き顔」という。


        


  4如砥如矢
     明治16(1883)年に新道開通の喜びを記念して刻まれた。
     砥石のようになめらかで、矢のようにまっすぐであるという意味。

    * (4・5・6)・・・(4)

        


  5大懐 6小懐 7大穴 8小穴
     天然の避難所がいくつかあり、多くの旅人を救ってくれた。
     その昔、ある旅人がここに逃げ込み、荒波がおさまらず一週間も出られなかったことが
     あったという。

    * (5大懐 6小懐)・・・(7大穴 8小穴)

        


  9長走り
     5大懐から7大穴までの間をいう。
     最も通行の危険なところであった。

    * (3・5・6・7・8・10)・・・(5・6・7)

        


  10走り込み
     絶壁に「南無遍照金剛」と刻み込まれてあり、ここからはもう大丈夫というところ。

               


  11浄土
     通行の困難な親不知を過ぎれば、もう極楽浄土(天国)のようだといわれていた。

    * (8・10・11)・・・(11)

        


模型の裏側には「四世代道路」の由来や歴史に関しての説明版が過去の写真入りでかけて
あります。

    * (詳しくは前項に記載してあります)

  

 
東屋の脇に「ウォルター・ウェストン像」があります。
    ウォルター・ウェストンはイギリスの宣教師で、明治22(1889)年から大正7(1918)年まで
    の間に3度来日しました。
    日本アルプスや富士山をはじめとする多くの山岳の探検登山を行い、日本の近代登山
    の振興に大きく貢献しました。
    彼は、明治27(1894)年7月にここ親不知を訪れ、その景観に感動し、その著書「日本ア
    ルプス登山と探検」の中で、一枚岩に刻まれた「如砥如矢」(砥石のようになめらかで、
    矢のようにまっすぐであるという意味)について紹介しています。
    この像はウェストンが当地を訪れた48歳当時の風貌がしのばれる。
    茂木弘行氏制作の像で、旧青海町により昭和63(1988)年7月に設置されました。

        

      
標識「如砥如矢 90m→」と看板「著名作家に愛された如砥如矢」
      (詳しくは前項に記載してあります)

                

 
如砥如矢(とのごとく やのごとし)
   ここは、親不知で最も通行が困難な「天険」(地形がたいへん険しい所)の直上、高さ約80
   mの崖の上です。
   かつての旅人たちは、波打ち際を通る当時の北陸道を命がけで通行していました。
   今立っているこの道は、絶壁を切り開いてつくられ、明治16(1883)年に完成しました。
   その喜びを岩壁に刻んで表わしたのが、「如砥如矢」です。
   砥石のように滑らかで、矢のようにまっすぐであるという意味で、この道路の工事に力を
   尽くした青海の人、富岳磯平(とみおかいそへい)の書と言われています。

                


        


                 


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