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<< 平和観音−→展望台−→慰霊之塔−→展望広場−→大岸壁−→ −→親子がえる−→休憩所−→スルス岩・天狗の投げ石−→針供養 >> ● 大谷公園 市街地の西約7kmにある宇都宮県立自然公園内に位置します。 元々は特産の大谷石を産出する採石場でしたが、世界平和を祈念した平和観音が刻まれた後に、 昭和31年に開園しました。 周囲の起伏に富んだ地形と松や広葉樹の自然林と相まって、独特の景観をかもし出している異色 の公園として、多くの観光客に親しまれています。 公園中央には「親子がえる」があり、参道の岸壁には、天狗が投げたという伝説が残る「天狗の投 げ石」や巨大な磨臼(すりうす)のような「スルス岩」などの奇岩があります。 また、平和観音の左側の階段から頂上に登る展望所では、国の名勝指定を受けた御止山(おとめ やま)や大谷の景観などの眺望を楽しむことができます。 ここ大谷公園では、石像、採石場跡、奇岩などがあり、大谷全体の景観をコンパクトにまとめた公 園です。 ● 平和観音 大谷寺の南側に高くそびえる平和観音は、身丈26.93メートル(88尺8寸8分)の高さで、第二次世界 大戦による戦没者の霊を弔い、世界平和を祈念するために、大谷観音の御前立として彫刻されたも のです。 戦後間もない昭和23年9月より、当時の大谷観光協会と地元の人々の熱心な後援のもとに大谷石 の採石場であった壁面を利用し、南側の岩肌に観音像を刻みました。 東京芸術大学教授・飛田朝次郎氏が彫刻を手がけ、その指導のもと、大谷町の大工・上野浪造氏 らが制作にあたりました。 6年の歳月を費やした結果、昭和29年12月に完成しました。 昭和31年には、日光輪王寺門跡菅原大僧正により開眼供養が行われ、それ以降大谷の顔としてそ びえ立っています。 * 平和観音の左側の階段をのぼり、展望台へ。 * 展望台は広くベンチもあり、公園内が一望できます。 ● 慰霊之塔 ● 展望広場から ● 大岸壁 ● 親子がえる その昔ある聖僧が仏教を広げるため各地を歩いておりますと、このあたりに蜂の大群が住みつき、住 民を苦しめているとの話を耳にされました。 聖僧は住民を助けようと当地で三七・二十一日の苦行を重ねて観音様を作り揚げました。 そのとき、蜂の大群がこの村に攻めてきました。 するとどこからともなく「親子がえる」が現われ岩肌にしがみつき蜂の大群と戦い身をもって住民を守っ たといわれています。 それ以来、住民は蛙に感謝し、今も地守神様として子孫にいい伝えております。 宇都宮観光コンベンション協会 向うの石段の下から、ご覧ください。 ● 休憩所 ●奇岩群 (スルス岩・天狗の投げ石) 大谷の人々は、大谷地区に点在する奇怪な形をした岩に名前を付けて呼んでいました。 大谷公園の中には、岩の中央に横に亀裂が入り磨臼(すりうす)のような形をした「スルス岩」と、伝説 では大谷の南に位置する戸室山に住んでいた天狗が、大谷向って投げた巨石が、崖の上でバランス を保ち止まっている「天狗の投げ石」があります。 このほかにも大谷には、「鶴岩」、「亀岩」、「兜岩」、「ダルマ岩」などの奇岩群が点在しています。 これらの奇岩は古くから観光名所として紀行文や絵葉書などに登場しています。 * (左画像/スルス岩)・・(右画像/天狗の投げ石) ● 針供養 ● 大谷石の採石場跡 大谷町を中心に産出される大谷石は、東西約8km、南北約37km、に分布しています。 大谷石は今から約2000万年前の海底火山の噴火により噴出した火山灰が海底に堆積してつくられ たもので、地質学上の名称は「凝灰岩」と呼ばれています。 大谷石の採石は江戸時代に農家の副業として始まり、明治時代に入り産業として発達しました。 当初は露天掘りと呼ばれる地上に現れている岩を採石する手法を用いていましたが、現在の採石場 所は地下数十メートルがら百メートル以上もある坑内に移っています。 採掘された地下空洞の広さは、全体で東京ドーム12個分に相当するといわれています。 ここ大谷公園では、昭和初期まで露天掘りや天井部だけを残す垣根掘りと呼ばれる方法により採石が 行われていました。 採石は岩の上部から一本ずつ手作業により下に向かって行われ、大谷公園から大谷寺に向かう通路 の壁面や東側の壁面には、層のようになっている採石跡を見ることが出来ます。 また、市営駐車場から平和観音を結ぶ通路には、石材輸送用の軌道が敷設されていました。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |