● 炎観音 ● 建物と碑があります。 奥の院 炎観世音建立趣意 天明3年浅間山の大爆発は5月9日より兆し始め、7月8日に至るまで実に88日間の長きに亘り荒 れ狂い一大音響とともに噴出したおびただしい溶岩の疑結は遂に天下の奇勝として人々の胸に大 自然の脅威をなまなまと訴えておるのであります。 ここに故堤康次郎居士は奉仏の念厚く宿縁により昭和33年5月浅間山観音堂を建立して東叡山 寛永寺別院となし、天明3年の遭難者の冥福を祈ることになりました。 又、この度観音堂奥の院に安置された、炎観世音菩薩は、神成志保殿のご寄進によるものであり ます。 この御尊像の謹作はご息女の神成澪子女史の設計謹作されたものであります。 女史の母堂志保殿は非常な仏教の篤信者でありまして、去る昭和42年8月に鬼押出し観音堂に 参拝されましたが、図らずもそれが機縁となり、たまたま某日夢枕に観世音菩薩が出現して、この 霊地に観音菩薩を建立せよとの仰せにより、遂にこの霊地に炎観音を建立することを発願したの であります。 爾来実に三ヶ年の日月に亘り、母堂と澪子女史は心身一体となり、その謹作につき精進努力して 遂にこの奥の院に炎観世音菩薩の尊像を拝することができたのであります。 今日宿縁の機熟して遂に信仰の結晶は、溶岩凝結のこの霊地に丈余の尊像を拝して盛大な落慶 供養を奉修しましたことは浅間山観音堂の法灯が前途益々栄えることと信ずるのであります。 昭和47年10月吉祥日 浅間山観音堂輪番 東叡山見明院住職 今井祐申 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |