(6)天守閣 2階 3階

           


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                           << 天守閣 2階 >>


                   (( 常設展示室2/撮影禁止−→体験コーナー ))


  ● 「常設展示室2」 戦国時代の小田原城 撮影禁止
          小田原城を本拠地とした戦国大名、小田原北条氏の事績と、歴史上名高い小田原合戦につい
          て紹介します。
    ● 体験コーナー

    * (常設展示室2・・撮影禁止)・・・(体験コーナー)

                          



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                           << 天守閣 3階 >>


       (( 回廊展示−→(小田原市ゆかりの美術工芸)−→漆工−→甲冑−→刀剣−→花鳥図 ))


  ● 「企画展示室1」 「企画展示室2(回廊)」 「企画展示室3」
          小田原ゆかりの美術工芸や甲冑・刀剣、小田原城周辺の発掘調査成果などを紹介します。

    ● 回廊展示

                  


    ● 小田原市ゆかりの美術工芸
          戦国時代以降、城下町・宿場町として栄えた小田原には、さまざまな美術工芸品が集まり、また
          ここで生産されました。
          残念ながら小田原城当主に関わる資料はそのほとんどが散逸し、城下町や宿場町に残った資
          料も度重なる地震災害などで失われました。
          ここでは、小田原ゆかりの美術工芸品をテーマごとに紹介します。

                                 


    ● 漆工
         小田原の漆工品といえば、透明な漆で自然な木目を見せる「小田原漆器」が有名です。
         これらは広く日用品として使用されたものと推定されます。
         一方で、小田原には黒漆塗に蒔絵や螺鈿を施した豪華な藩主ゆかりの品々も伝来しています。
         こうした藩主ゆかりの品々の中には、藩主夫人が婚礼道具として持参したものや菩提寺となった
         寺院に伝わったものなどがあります。
         これらの漆工品は、藩主やその周辺の人々の小田原城での暮らしぶりの一端を示しています。

                  


    ● 甲冑
         後頭部が盛り上がる阿古陀形風で、やや大振りな兜鉢を「小田原鉢」と呼んでいます。
         これらの兜鉢に「相模」「相州小田原」などと銘文が刻まれるものが見られるためです。
         明珍派と呼ばれる一派が大森氏に招かれ、小田原で甲冑製作が始まったといわれています。
         明珍派は小田原北条  の小田原城入城後も引き続き甲冑製作を続けました。
         江戸時代の甲冑師については残念ながら定かではありません。

                          


       縦矧桶側二枚胴具足(たてびきおけがわにまいどうぐそく)  江戸時代  小田原城天守閣蔵
          北条早雲(ほうじょうそううん)の末子、幻庵(げんあん)の子である北条新三郎氏信(しんざぶろう
          うじのぶ)所用と伝わる具足です。
          永禄12年(1569)、蒲原城(かんばらじょう/静岡)に在城した氏信は、小田原北条氏の領国に攻
          め入った武田氏を迎え撃ち、討ち死にしました。
          後世に補修された部分もありますが、兜は戦国時代の形態を伝えています。
       鉄錆地四十八間筋兜(てつさびじよんじゅうはちけんすじかぶと)

    * (縦矧桶側二枚胴具足)・・・(鉄錆地四十八間筋兜)

             


      本小札紫糸素懸威腹巻(ほんこざねむらさきいとすがけおどしはらまき)戦国時代 小田原城天守閣蔵
          北条氏康の五男(一説に四男)で三崎城主・韮山城将・館林城代などを務めた北条氏則所用と
          伝わっています
          氏則の子、氏盛を藩祖とする河内狭山藩に伝わったもので、昭和18年(1943)の「日本武器概
          説」に北条子爵家(狭山北条家)蔵として紹介されています。
          小田原北条一族伝来の甲冑類は非常に珍しく、貴重な作品です。
      本小札黄櫨糸威二枚胴具足(ほんこざねはじいとおどしにまいどうぐそく)
              江戸時代 個人蔵 高さ140cm 幅43cm 奥行40cm
          寛永9年(1632)に、美濃加茂で大久保家に仕官して藩士となった竹内籐左衛門正明が所持し
          たとの伝来を持ちます。
          小札(こざね/短冊形の小板)が二重に重なる「本小札」の技法を用い、二枚の胴を蝶番(ちょう
          つがい)でつないでいます。

    * (本小札紫糸素懸威腹巻)・・・(本小札黄櫨糸威二枚胴具足)

                          


       錆地塗縫延紺糸素懸威二枚胴具足(さびじぬりぬいのべこんいとすがけおどしにまいどうぐそく)
              江戸時代 小田原市立曽我小学校蔵 高さ138cm 幅48cm 奥行40cm
          小田原藩士が使用したとの伝来を持つ具足です。
          鉄の風合いを活かした「錆地塗」で塗装するとともに、小札(こざね/短冊形の小板)と呼ばれる
          部品を隙間をあけてつなぐ「素懸威」の技法を用いており、二枚の胴に分かれています。

    * (錆地塗縫延紺糸素懸威二枚胴具足)

                                  


    ● 刀剣
        小田原での作刀は、戦国時代初頭、小田原北条氏に招かれて島田鍛冶が小田原にやって来た
        ことに始まるとされています。
        鎌倉には鎌倉鍛冶が既に存在し北条氏の領国内では、この2つの系譜を引く刀鍛冶が活躍しま
        した。
        これらの刀剣は「末相州(すえそうしゅう)」「小田原相州」と呼ばれています。
        江戸時代には、加賀の刀工兼若の四男清平が、当時の藩主稲葉氏に召し抱えられ、八幡山で
        作刀を初め、以後数代にわたり活躍しました。

                        


       刀 銘「相州住康春(そうしゅうじゅうやすはる)作」 (小田原市指定文化財)
              戦国時代 小田原城天守閣蔵 長さ77.9cm 反2.7cm
           刀身が長く反りの太刀姿の刀です。
           保存状態も良く、康春が手がけた中でも優れた作品です。
           この刀は「新編相模国風土記稿」にもその由緒が記載されており、歴史的にもたいへん貴重
           な資料です。

            


       太刀 銘「相州小田原住義助作」
              戦国時代 小田原城天守閣蔵  長さ72.0cm 反2.2cm
           義助は島田鍛冶の棟梁で16世紀前半に小田原北条氏の招きにより小田原に来住した刀工
           です。
           義助の作品の中でも「小田原住」と見える作例は少なく、本資料はとても貴重です。

            


       太刀 銘「恒次(つねつぐ)」
              鎌倉時代  小田原城天守閣蔵 長さ74.6cm  反2.0cm
           備中古青江(びっちゅうこあおえ)の刀工恒次の太刀です。
           恒次は数代にわたっていますが、この作品は鎌倉時代中期頃のものです。
           わずかに磨りあげていますが保存状態も良く、当館が収蔵する刀剣の中でも最も優れた作品
           の一つです。

              


  ● 花鳥図 岡本秋暉(おかもとしゅうき)筆 小田原市指定文化財
          江戸時代後期 小田原城天守閣蔵
       かつて、小田原城二の丸御屋形の正面玄関にはめられていたと伝えられている杉戸絵です。
       4つの画題が2面ずつ描かれており「岩に孔雀図」の裏に「桑の木に鳥図」、「鯉に松藤図」の裏に「
       梅花図」が位置します。
       描いたのは、幕末の画家で小田原藩士でもあった岡本秋暉とされています。
       「鯉に松藤図」のように、杉の木目を水面に見立てうなど、杉戸絵という媒体を巧みに取り入れた表
       現が認められます。

               



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