曽々木ポケットパーク

                    

        輪島市から国道249号を珠洲市方面に進み、「白米千枚田」を通過。
        県道6号の交差点を過ぎ、東へ約1kmの海側に「窓岩ポケットパーク」があり、そこから東へ
        約500m先の「八世乃洞門新トンネル」手前海側に「曽々木ポケットパーク」と駐車場があり
        ます。

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   ● 曽々木ポケットパーク
        八世乃洞門新トンネルと周辺の見どころの説明板、麒山(きざん)和尚が建立した石仏があります。
           能登の難所をひらいた麒山(きざん)和尚が建立した石仏
              現在の輪島市曽々木から珠洲市真浦にいたる断崖絶壁の地は、昔は道も無く、「能登
              親知らず」とか「ヒロギの険」とおそれられた難所でした。
              手をひろげて岩につかまって渡る途中、あやまって海に落ちて失命する人が毎年あとを
              絶たなかった−と語り伝えられています。
              安永9年(1780)、海蔵寺八世の麒山瑞麟(きざんずいりん)和尚が開道を決意。
              加越能三国を托鉢して浄財を集め、13年後の寛政4年(1792)に、この絶壁にひとすじの
              道を通しました。
              以来、人々は親しく「八世の和尚さん」と呼び、その徳を語り継いできました。
              この石仏は開道記念に、往来人の安全を祈念して、麒山和尚が建てたものです。

    * (麒山(きざん)和尚が建立した石仏)

                  


       トンネルの代わりゆく姿
         1792年(寛政4年)
           海蔵寺八世住職 麒山瑞麟(きざんずいりん)和尚が「能登の親知らず」とおそれられた能登
           最大の難所を「寺で座るのも禅だが、人が安全に行き来できる道を開くのも、これも禅の道」
           と浄財を集め13年の歳月を要して麒山道を開く(現「波の花遊歩道」)
         1887年(明治20年)
           石川県による麒山道の大改修(手堀りトンネル工事、愛称「接吻トンネル」)
         1963年(昭和38年)
           八世及洞門・曽々木隧道が開通(輪島市・珠洲市の海岸が車道でつながる)
         2009年(平成21年)
           八世及洞門新トンネル完成
             (2007年3月能登半島地震の一般国道249号道路災害関連事業)
           能登半島地震で被害を受けた八世乃洞門と隣接する曽々木隧道に代わり、危険な岩塊群
           を迂回したトンネルとして、平成21年12月に完成した。

    * (八世及洞門・曽々木隧道)・・・(八世及洞門新トンネル)

                    



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                                ● (入口へ) ●

 

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