(2)阿弥陀堂門→経蔵

                           



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  ● 阿弥陀堂門(重要文化財)
       昭和期の阿弥陀堂修復事業を機縁とし、昭和58(1983)年、檜皮(ひわだ)の一部葺替、飾金具の修正、
       金箔押などの補修が行われ、創建当初の美しい姿が再現されました。
       平成21(2009)年に御影堂門・築地塀修理の際にあわせて修復工事が行われました。 

                  


                  


                


                             


    *阿弥陀堂側から

                  


                  


                          


                             


                          



  ● 経蔵(重要文化財)
       経蔵は天海僧正の開版による「一切経(大蔵経/だいぞうきょう)」(函数665、6323卷)を納めており、
       内部の八角形の堂が回転する構造になっているため、「転輪蔵/てんりんぞう」とも呼ばれます。
       一切経は第13代良如(りょうにょ)上人の時に江戸幕府から購入されました。
       その後、第14代寂如(じゃくにょ)上人の時に経蔵の建立が計画され、延宝6年(1678)に完成し、寂如
       上人染筆による「転輪蔵」の扁額が掲げられています。
       大工は伊豆守宗俊(いずのかみむねとし)、方5間1尺7寸・棟高6間2尺・軒2間1尺5寸・二重屋根で、
       屋上には古鏡千枚をもって造ったという銀宝珠を置いております。
       内部の正面に書棚の発案者とされる梁(りょう)の居士、傅大士(ふだいし)の像、その左右に二童子及
       び八天像を安置しています。
       これらの像は渡辺康雲の作ですが、寂如上人が自らその彫刻に当たられたとも伝えられています。
       なお、内壁に貼られた腰陶板は、肥前(佐賀県)伊万里の有田焼柿右衛門系の陶工によるもので、柿
       右衛門系としては最も初期の作で、二種類の龍が描かれています。    本願寺


                  


                  



  ● 太鼓楼(たいころう/重要文化財)
       本願寺の東北角にある重層の楼閣で、内部に今も残る大きな太鼓は、江戸時代には周囲に時刻を告
       げる合図となっていました。
       幕末、本願寺を一時的に屯所としていた新撰組による刀傷が、今も残っていると伝えられています。

                      



  ● 浄土真宗本願寺派伝道本部

                        



  ● 安穏殿(ブックセンター)
       1階にあるブックセンターでは、浄土真宗の聖典や法話、学習書、児童書、マンガ、ビデオなど、浄土真
       宗の教えや歴史に関する出版物を取り扱っています。

                  


                          


  ● 梵鐘(国指定:重要文化財) 安穏殿入口脇
          *材質:銅・鋳造   *口径:106.4cm   *重さ:1.8t
          *制作:平安時代(12世紀)   *高さ:158.2cm(竜頭を除く)
       胴の中ほどに、池の間と呼ぶ銘区が4区めぐり、1区目にこの鐘の鋳造由緒、残りの3区に光明真言等
       の真言を記す。
       1・2区は一行ずつの銘型を外型にいけ込んだ陽鋳銘で、鋳造当初のものであることは疑いないが、陰
       刻籠字の3・4区銘は追刻と思われる。
       1区銘によると、本鐘は京都太秦広隆寺において、久安6年(1150)の火災で焼失した鐘の代わりに再
       興されたことが知られ、「広隆寺由来記」に見える永万元年(1165)6月13日再興供養の願文、「左建鐘
       楼之基、高懸九乳之洪鐘矣」の記述から、この頃に制作年が求められる。

       降って室町時代、天文16年(1547)に本鐘は、広隆寺から石山本願寺へ代銀230貫文を以て売却された
       (「天文日記」)。
       石山時代本願寺のまことに貴重な工芸遺品といえる。
       さらに元和6年(1620)、西本願寺へ移されてからは、華洛の名鐘として知られていたようで、「山州名跡
       志」などの地誌類や洛中洛外図屏風などにも登場する。
       当初の竜頭は失われ近世に木彫で補われたが、これもまた「珍しい木の竜頭」と、本願寺鐘を有名なら
       しめるのに一役買っていた。

       実際に本鐘は稀に見る大鐘で、とくに胴径に比して身丈の高いスマートな鐘形は平安後期の古制を存
       分に示す。
       平等院梵鐘と外形がほぼ一致することから、これと同時期、同工房で制作された兄弟鐘であるとの見
       解が近年出されている。

                                  


                                  



  ● イチョウ(京都市指定保存樹 平成15年3月指定)
       円形の樹形を呈したイチョウです。
       境内にはイチョウが比較的多く植栽され、古くから火災時の類焼を防止する防火樹の役割を果たしてき
       ました。

                      



                 


  ● 防災センター
       本願寺を守る守衛の方たちの活動の拠点となる建物で、全体としては木造建物に見えるように仕上げ
       ています。

                         



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                               ● (入口へ) ●

 

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