「9」(15)北村家→(16)清宮家

                   


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   ● (15)北村家住宅(きたむらけじゅうたく)   貞享四年の墨書が残る古民家
          指定区分:国指定重要文化財
          旧所在地:神奈川県秦野市堀山下
          建物区分:農家(名主の家)
          構造形式:寄棟造、茅葺、桁行15.6m、梁行8.9m
          建築年代:貞享四年(1687)、墨書
             この建物で特筆されるのは、建築年代がはっきりしていることです。
             加えて、建築としても非常に優れており、日本で最も重要な民家の一つといえます。
             建築年代は、柱の先端に墨(すみ)で記されていました。
             これを墨書(ぼくしょ)といい、理兵衛という大工の棟梁(とうりょう)の名前も明らかになってい
             ます。 日常生活の場であるヒロマは、竹簀子(たけすのこ)と板の間を使い分けています。
             竹簀子には必要に応じてムシロを敷きました。
             上手のオク(正座敷)には床の間が付き、ヘヤ(寝室)は畳敷(たたみじき)で押入も備えてい
             ます。 このほか、ヒロマとオクに濡縁(ぬれえん)が付くなど、同じようなつくりの旧伊藤家
             住宅に比べ、発達した様子を示しています。

               



                 



     ○ 入口を入ります。

                          


      * だいどころ(台所・・室内作業・食事の準備・収穫物を貯える所)

                  


     ○ ひろま(広間)

                  


     ○ おく・・客をもてなす

                  


     ○ へや・・家族の寝室・物置

                          




   ● (16)清宮家住宅(きよみやけじゅうたく)   棟に花が咲く古い様式の民家
          指定区分:神奈川県指定重要文化財
          旧所在地:神奈川県川崎市多摩区登戸
          建物区分:農家
          構造形式:寄棟造、茅葺、桁行13.6m、梁行8.2m
          建築年代:17世紀後期
             この建物は、当園にほど近い多摩区登戸にありました。
             屋根は頂上を土の重さで押さえ、その土が落ちないよう草花が植えてあります。
             これは「芝棟(しばむね)」と呼ばれ、武蔵国西部の素朴な農家の姿を伝えています。
             間取りは、囲炉裏のあるヒロマを中心に上手をデエ(座敷)とし、それぞれの裏に寝室と考えら
             れる小部屋を設けています。  これは神奈川県の古式な民家に限られる形式です。
             また土間の梁には曲がった太い材が使われ、デエとデエドコ(土間)の境は格子で仕切られて
             います。  なお、この家はデエドコに勝手口がありません。
             これは、家の前の小川に流しが設けられていたためです。

              



              



     ○ 入口を入ります。

                          


     ○ でえどこ(台所・・室内作業・収穫物を貯える)

             


     ○ ひろま(広間・・食事をする・屋内作業をする)

                  


     ○ うらべや(裏部屋・・家族の寝室・物置)

                          


     ○ でえ(客間・・客をもてなす場所)

                  



   ● 農具小屋展示室

           




   ● 名称 旧小泉家外便所   旧所在地 神奈川県川崎市宮前区野川484

                          



   ● 石橋供養塔   天保2年(1831)  旧所在地:川崎市麻生区早野
         「早野の辻」に架けられた石橋の供養塔。
         一般的には、橋が完成した際、水で亡くなった人を供養し、災厄を防ぐために祈った記念として建て
         られる。

                              



   ● 石橋  嘉永2年(1849)
         旧所在地:川崎市多摩区菅  俗にいう「中野島十橋」の一つ。

                  



   ● 庚申塔(道標)  年代 享和2年   旧所在地 川崎市麻生区早野広地

                              




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                               ● (入口へ) ●

    

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