(2)宸殿→本堂/普賢堂 

                          


                          (画像をクリックすると、大きくなります)
   

  << 唐門−→地蔵堂−→本堂方面へ−→七卿碑−→石碑(天皇皇后両陛下行幸啓記念)−→

                                      −→宸殿−→白龍辨財天−→本堂/普賢堂 >>


   ● 唐門
         境内の南西隅、東大路に面して建ち、江戸中期の桜町天皇下賜と伝える、いわゆる勅使門で、呼
         称とは異なり桧皮葺・切妻造り・平入りの四脚門となっています。

                         


                      



     * 境内より

                  


                              


                              



   ● 地蔵堂

                          



                                     



   ● 本堂方面へ向かいます。 

                          



   ● 七卿碑 (しちきょうひ 左側)
         幕末、文久3(1863)年8月、公武合体派と対立する勤王急進派の三条実美卿一行が当院に集結、
         合議の末、市内戦を回避、後の維新を期して、西国へ向け出京したという「七卿落ち」の記念碑で
         有栖川宮威仁親王の篆額を得て、対象1(1912)年9月に建立されたものです。
         毎年10月には、いまも七卿をしのぶ記念法要が続けられています。

                  



   ● 石碑 (天皇皇后両陛下行幸啓記念) 

                   


   ● 宸殿(しんでん)
         室町期、後花園天皇より歴代天皇、皇后の御尊牌を奉安し、前三代の各御祥月には法要が行われ
         ます。
         殿舎は桧皮葺の建物で、明治31年の再建です。
         鎌倉期に宮門跡となった当院には、宸翰、奉書をはじめ皇室ゆかりの什物が多く所蔵されています。
         平成22年3月には、両陛下の行幸啓がなされました。

                      


        * (パンフレットより)

       



     *七卿落
         文久3年(1863)8月18日の政変は、会津、薩摩の公武合体派が尊攘派の長州藩を宮門外に駆遂し
         た事件をいう。
         これに至る迄の概況を列記し参考に供します。

    


                          (画像をクリックして読んでください)


                 



     *宸殿の右側を進むと柵があり、立ち入り禁止です。

                  



   ● 白龍辨財天 (右側) 

                          


   ● 本堂の普賢堂
         江戸寛政期(1790年代)の建立とされ、梁間(7.1m)・桁行(8.9m)とも三間、土間床に、龍図の鏡天井
         を持つ禅宗様の重層宝形造り、堂中央に本尊普賢菩薩像(重要文化財)、後壇には元三大師、五大
         明王像が奉られます。
         本尊は平安後期の造像と伝え、辰・巳歳の守護尊で殊に「健康長寿」のご利益を施すとされ「延命
         尊と呼ばれています。
         また、本尊後方の来迎壁は石踊達哉画伯により奉納された「清浄蓮華」で飾られています。
            法要日時:毎月1日 10時半より/14日 10時より

         * (右画像/パンフレットより)

                      



      



   



                  




                         (画像をクリックすると、大きくなります)


                               ● (入口へ) ●

  
 

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