妙義神社 |
2006.11.01 |
水 |
晴 |
出発−あきるのIC−松井田妙義IC−道の駅妙義−駐車場(もみじの湯先右折)− 6:00-----6:25--------7:45-------7:55-8:00-------------------------
−−妙義神社 ---8:03-8:12
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6:25
7:45
7:55 8:00
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圏央道・あきるのIC通過。 根子岳に行くつもりでしたが、圏央道・関越道から上信越道に入って妙義山に変更しました。 妙義山は、昔友人たちと登ったのですが、石門しか覚えていません。 松井田・妙義IC 通過 聳える岩峰の妙義山に向かいます。 道の駅 妙義 は町営駐車場になっているので駐車し地元の人に聞くと ”妙義ふれあいプラザもみじの湯” 先の駐車場に止めると便利、という事です。 駐車場到着。 支度をし、標識 ”妙義神社140m→” に従って行きます。
* (道の駅 妙義)・・・(妙義ふれあいプラザ もみじの湯)
* (駐車場)
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8:03
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赤門 江戸時代、妙義神社の門前町は西の背面は妙義山・東は大門・南は赤門・北は黒門 により守られていました。 その赤門は、堀立ての二本の本柱上部に貫(冠木)を通す冠木門(かぶきもん)朱塗の 形式をとっていました。 この赤門を往時の姿に復元したものです。 門を入っていくと、つばき園になっていて、菊祭りの展示場もあります。 妙義神社まで、80Mです。
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長い石階段を上ると ”総門” になります。 総門 国の重要文化財に指定されています。 江戸時代には白雲山石塔寺の仁王門だったそうで、神仏分離により総門に改められ たということです。 三間二間単切妻造の立派な大きな門で、安永2年(1773)の建てられたそうです。 屋根は最近まで檜皮葺でしたが、昭和60年から平成元年の修理により創建時の銅 板葺に改められました。
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再び階段を登り、”青銅の大鳥居”をくぐります。 県重要文化財 鳥居の神額裏には、 寛文八戌申年十二月吉日、前天台座主二品親王良尚書之 と書かれているということです。 すると ”波己曽社(旧本殿)” があります。 県の重要文化財。 最近まで本殿は波己曽社に、拝殿は神楽殿になっていました。 先年新材を補足して合の間を入れ移築大修理し、旧態に復したそうです。 妙義神社は古代は波己曽(はこそ)神社と呼ばれていたようです。
* (大鳥居)・・・(波己曽社)・・・(手水舎)
すぐそばに”妙義神社の大杉の子孫”があります。 国の天然記念物に指定されている妙義神社の大杉の子孫です。 昭和8年に天然記念物に指定された大杉は老木のため衰弱し、昭和46年1月の台風に より倒壊したそうです。 茨城県の国立関東林木育種場にこの杉の健全な穂がつぎ木で保存されていました。 これを群馬県林業試験場がつぎ穂としてもらい受け、昭和48年つぎ木し49年にとり木をし、 大杉の子孫を作り植栽したものだそうです。
* (妙義神社の大杉の子孫)
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唐門にむかう長い階段は工事の為、閉鎖されていました。 右の脇道を進んでいきます。
まもなく ”本殿” 到着。 本殿は、黒漆塗り・入母屋造りです。 祭られている神様は、『日本武尊・豊受大神・菅原道真など』です。 妙義神社が創建されたのは、今から約1500年ほど前。 江戸時代には上野東叡山宮御兼帯の社となって、皇室の厚い崇拝を受けるなど古くから 格式の高い神社です。
* (本殿)・・・(妙義中間道へ)
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8:30
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残念ながら唐門は閉鎖されていて、見ることが出来ませんでした。 これから中之岳神社まで、妙義中間道を行く事にします。
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