(7)山手御門

                              


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   ● 山手御門
        山手御門は、甲府城に三つあった出入口の一つです。
        土橋によって堀を渡り、高石垣と土塀に囲まれた内側の高麗門(山手門)と櫓門(山手渡櫓門)から構
        成される山手御門を通って、ここから南の城内(現・舞鶴城公園)に出入りできました。
        しかし明治期に破却され、今では線路で分断されています。
        発掘調査では掘石垣群跡と土橋跡が検出されました。石積みの状況と文献資料から城内の天守台
        とほぼ同時期の天正末期から慶長初期(16世紀末〜17世紀初)頃に造られたと考えられます。
        防御上重要な箇所なので、石垣の完成と同時に櫓門の建造が始まったと想定されます。
        当初の建造物の史料はありませんでしたが、情報量が多く信憑性が高い「楽只堂年録/らくしどうね
        んろく」絵図をもとに建造物規模を推定しました。
        また、発掘された石垣遺構に基づいて位置を定めました。
        このようにして、「楽只堂年録」に描かれた時代(18世紀初)の姿に復元しています。

                  


        「楽只堂年録/らくしどうねんろく」絵図には、両側に低い石垣と土塀も描かれており、近世城郭の主
        要な虎口では、外側に高麗門、内側に櫓門を設けております。
        門扉を支える両側の鏡柱の上に冠木を渡し、前後に腕木を出して切妻屋根を架け、鏡柱の背後にそ
        れぞれ控柱を建て、本屋根より小振りな切妻屋根を載せる特徴的な構造です。

               


    *(反対側より)

                             


   ● 山手渡櫓門
        「楽只堂年録/らくしどうねんろく」絵図には、石垣を渡し架けているように描かれており、一層目の
        門の上に櫓が載る櫓門形式の門としています。
        一層目は石垣の間に門扉、ケヤキ材の鏡柱、添柱等が配置され、75cmもの太さの大梁等を支え
        ます。
        二層目の規模は「甲斐府中城図」等複数の絵図に記されている3間x7間としています。

          


    *(反対側より) 

                          


                



   ● 山手御門の右側から階段をのぼり、展示室へ

                  


                  


                          


   ● 石垣
        石垣は検出遺構や明治期に撮影された古写真等を参考にして、自然石を積み上げる「野面積み/
        のづらつみ」を基本としながら、中に粗く割った石を取り混ぜて、様々な大きさの石をバランス良く配
        置して積み上げています。
        石積みの隙間には詰め石を施します。
        山手門から入った正面には、鏡石として巨石(畳2畳約8t)を配置しています。
        「楽只堂年録/らくしどうねんろく」絵図に記されている「高さ一丈五尺(15≒4.5m)」をもとに石垣を積
        んでいます。
        石段も記されている段数に基づいて復元しており、きつい勾配になっています。

       



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                               ● (入口へ) ●

  

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