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<< 山手御門−→山手渡櫓門−→展示室−→石垣 >> ● 山手御門 山手御門は、甲府城に三つあった出入口の一つです。 土橋によって堀を渡り、高石垣と土塀に囲まれた内側の高麗門(山手門)と櫓門(山手渡櫓門)から構 成される山手御門を通って、ここから南の城内(現・舞鶴城公園)に出入りできました。 しかし明治期に破却され、今では線路で分断されています。 発掘調査では掘石垣群跡と土橋跡が検出されました。石積みの状況と文献資料から城内の天守台 とほぼ同時期の天正末期から慶長初期(16世紀末〜17世紀初)頃に造られたと考えられます。 防御上重要な箇所なので、石垣の完成と同時に櫓門の建造が始まったと想定されます。 当初の建造物の史料はありませんでしたが、情報量が多く信憑性が高い「楽只堂年録/らくしどうね んろく」絵図をもとに建造物規模を推定しました。 また、発掘された石垣遺構に基づいて位置を定めました。 このようにして、「楽只堂年録」に描かれた時代(18世紀初)の姿に復元しています。 「楽只堂年録/らくしどうねんろく」絵図には、両側に低い石垣と土塀も描かれており、近世城郭の主 要な虎口では、外側に高麗門、内側に櫓門を設けております。 門扉を支える両側の鏡柱の上に冠木を渡し、前後に腕木を出して切妻屋根を架け、鏡柱の背後にそ れぞれ控柱を建て、本屋根より小振りな切妻屋根を載せる特徴的な構造です。 *(反対側より) ● 山手渡櫓門 「楽只堂年録/らくしどうねんろく」絵図には、石垣を渡し架けているように描かれており、一層目の 門の上に櫓が載る櫓門形式の門としています。 一層目は石垣の間に門扉、ケヤキ材の鏡柱、添柱等が配置され、75cmもの太さの大梁等を支え ます。 二層目の規模は「甲斐府中城図」等複数の絵図に記されている3間x7間としています。 *(反対側より) ● 山手御門の右側から階段をのぼり、展示室へ ● 石垣 石垣は検出遺構や明治期に撮影された古写真等を参考にして、自然石を積み上げる「野面積み/ のづらつみ」を基本としながら、中に粗く割った石を取り混ぜて、様々な大きさの石をバランス良く配 置して積み上げています。 石積みの隙間には詰め石を施します。 山手門から入った正面には、鏡石として巨石(畳2畳約8t)を配置しています。 「楽只堂年録/らくしどうねんろく」絵図に記されている「高さ一丈五尺(15≒4.5m)」をもとに石垣を積 んでいます。 石段も記されている段数に基づいて復元しており、きつい勾配になっています。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |