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<< 内松陰門−→銅門跡−→謝恩碑−→鉄門−→石垣の構造 >> ● 内松陰門(うちまつかげもん) 屋形曲輪と二の丸をつなぐ門です。 明治の初めまでは残っていたものを絵図や発掘調査の成果をもとに、平成11年に復元しました。 (振り返ると) ● トイレ(内松陰門 右側) ● 銅門跡(あかがねもんあと) 天守曲輪から本丸に入る西側の門です。 礎石はお城が建てられた当時のものです。 ● 謝恩碑 これは明治44年3月11日県内にあった御料地を、明治天皇から大水害によって荒廃した県土の 復興に役立てるよう、御下賜になったことを記念して建てられたものです。 碑の建設は、明治神宮造営局参与工学博士伊藤忠太氏および同局技師大江新太郎氏の設計 により、大正6年12月から9年まで3ヵ年、当時の金額でおおよそ10万円を費やして行われました 使用されている石材は甲州市(旧神金村荻原山)の恩賜林内から切り出されたものです。 その採掘、運搬、組み立てには大変な苦労があったといわれていますが、大正9年御下賜10周 年を迎える年に碑身が完成しました。 碑の高さ約18.2mで、謝恩碑はオベリスク型と呼ばれる古代エジプトに記念碑を、碑台は高さ7.4 mのバイロン形と呼ばれるこれも古代エジプトに神殿の入り口に設けられた塔状の門の形を模し たものです。 ● 鉄門(くろがねもん) 甲府城の歴史 今から410余年前、豊臣秀吉の命により浅野長政・幸長によって甲府城は築城されました。 築城は、江戸の徳川家康をけん制する目的でしたが、江戸幕府が開かれると代々徳川一門 や柳沢氏の居城となりました。 鉄門復元整備事業のねらい かつて城下町から見上げた鉄門は、明治初年に城内の他の建物と共にすべて取壊されてし まいました。 この鉄門を復元し歴史景観を再現することは、甲府城跡の文化財的価値や理解をより高める ものと考えています。 また甲府中心市街地からの眺望は、新たな魅力と人の流れを生み、城下町甲府の風格と活 気を取り戻すものと期待されます。 ● 鉄門(本丸方面から) ご利用案内 開館時間 午前9時〜午後4時30分 (入館は午後4時まで) 休館日 月曜日(祝日は開館) 祝日の翌日(日曜日は開館) 年末年始(12月29日〜翌年1月3日まで) 入館料 無料 連絡先 山梨県教育委員会 学術文化財課 055-223-1791 ● 鉄門の右側へ ● 石垣の構造 (鉄門の右先) 隅角部(ぐうかくぶ/石垣の角)には石垣の重みが集まるため、石材の長短を交互に組み合わせて 積む算木積みという手法で積まれています。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |