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<< 太鼓橋廊下−→華燈台口−→東塗縁−→厠−→藩主の間−→ −→履脱石−→扁額−→西広縁−→対古軒−→厠 >> ● 太鼓橋廊下 この太鼓型の橋廊下は奥御殿と好文亭を結んでいます。 廊下の左側に烈公が創案した篠で作った格子窓があります。 この窓は、外からは窓であることが判らないように工夫して作られています。 ● 華燈台口 奥御殿から茶室に渡る出入口で、小坊主が控えていて連絡にあたった部屋です。 室内の杉戸には、古今集の和歌が華麗な色紙短冊に書かれていましたが、火災により損傷した ので、一部作り直したものです。 ● 東塗縁 18畳の総板張りの広間で,斉昭は藩内の家臣(80歳以上),庶民(90歳以上)を招き敬老の会を 催しました。 ● 厠 ● 展示(平成23年3月11日・東日本大震災で崩落した黄土砂壁) ● 軒下に敷き詰められた黒石は和歌山県の那智石です。 ● 藩主の間 藩主斉昭(烈公)が好文亭にお成りの時、ここで文人、墨客、庶民などに接しました。 部屋は紗張戸を用い左右が透かして見えるように工夫され、特に床の間は設けず簡素に竹の柱 だけが下げてあります。 ● 履脱石 ガマの背に似た斑紋があるのでガマ石と呼ばれています。 履脱石は、2.4m×1.6mあり谷田の羅漢寺にあったものをここに移設したとされています。 ● 軒下に敷き詰められた黒石は和歌山県の那智石です。 ● 扁額 御座の間(烈公の間)前の中庭側にあります。もともとはここが好文亭の入口であったようです。 見落としやすい場所です。 ● 西広縁 三間と六間の大塗縁の北側と西側書く二枚の杉戸には、作詩作歌に便利なように、四声別韻字 真仮名平仮名を烈公が能筆の人に書かせ、辞書代わりにしました。 現在の文字は、東京芸術大学の先生が復元したものです。 天井は杉皮網代張り、仕切り戸は竹篭目紗張りで、ここに父墨雅人がよく集まり詩歌を作り書画 をかいたりしました。 ● 対古軒 ここは好文亭に招かれた人が少し休んだり、茶席に出る前に、静座して心気を整えるなどに使わ れた部屋です。 ここに揚げてある丸い刻板は、烈公の歌を彫ったものです。 対古軒と名づけたのは凡河内躬恒(おうこうちみつね)の 世をすてて 山に入る人 山にても なおうきときは いづち行くらん という古歌」に対して烈公が 世をすてて 山に入る人 山にても なおうきごきは ここに来てまし 意味 山に入っても、なお落ち着かなかったら、静かなここ好文亭にお出で下され と詠んだことにもとつづくものです。 ● 厠 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |