(2)好文亭 1

           



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   ● 中門から入ります。

                          


                              


                      


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   ● 芝前門(しばさきもん)から入ります。
        好文亭から梅林や萩のある苑側に出るときに使用する門です。
        昭和20年(1945年)仁戦火で消失し、昭和33年(1958年)に復元されました。

                      


                              



   ● 「好文亭説明文」・「日本遺産碑」がたっています。
        好文亭(こうぶんてい)
           好文亭は、水戸藩第九代藩主徳川斉昭(烈公)が詩歌・管弦の催しなどをして中の人々とともに
           心身の休養をはかるために天保13年(1842年)に建てたmのです。
           好文というのは梅の異名で、「学問に親しめば梅が開き、学問を廃すれ梅の花が開かなかった
           」という中国の故事にもとづいて名付けられました。
           建物は木造2層3階建ての好文亭本体と北につながる奥御殿(平屋造り)からなり、全体を総称
           して好文亭と呼んでいます。
           斉昭はその位置から建築意匠まで自ら定めたといわれています。
           奥御殿を設けた理由は、万一城中に出火などあった場合の立ち退き場所として備えられたため
           と、当時藩内では管弦など禁制であったので城中の婦人達のため遊息の場所としたという配慮
           があったようです。
           昭和20年(1945年)8月2日未明の空襲で全焼しましたが、昭和30年(1955年)から3年をかけて復
           元されました。
           昭和44年(1969年)9月落雷により奥御殿と橋廊下は焼失しましたが、昭和47年(1972年)2月に復
           元されました。
           平成23年(2011年)3月11日の東日本大震災では壁の崩落など大きな被害を受け閉館を余儀なく
           されましたが、平成24年(2012年)2月に復旧しました。

                      



   ● 烈公梅(れっこうばい) 中咲き・・紅色 野梅系・・一重

                  



   ● 料金所。

                          


                         



   ● 料金所を過ぎると、右側に「好文亭」が見えます。

                          


                     


                  



   ● 井戸

                  



   ● 標識(待合→)

                          



   ● 右側に「路地門」が。
        日常世界と茶の湯の庭との界に置かれる門。
        何気ない風情と穏やかな佇まいに魅せられる。
        現在は解放されていない門ですが、昔はこの露地門をくぐり待合に入ったそうです。

                



   ● 待合(まちあい)
        この待合は、茶席」に招かれた客が席の準備が出来るまで控え待っていたところです。
        壁には斉昭の書で「茶説」・「茶対/ちゃたい」・「巧詐不如拙誠/こうさせっせいにしかず」を彫り付
        けたものが塗り込められています。
        「茶説」は茶に対する礼の重要性を表したもので、「茶対」は茶道についてその教訓を問答形で斉
        昭が書いた文です。
        「巧詐不如拙誠(巧みに偽るより、拙くとも誠であることがよい)」は、斉昭が茶道における戒めとした
        書です。

                  


                  


     * (左/巧詐不如拙誠)・・(中/「茶対)・・(右/茶説)

                         



   ● この先に「何陋庵」があります。

                  



   ● 何陋庵(かろうあん)
        簡素な草庵風の茶室で、何陋庵といいます。
        この床柱は、つつじの古木で、鹿児島県屋久島の産です。
        この庵の名称は「論語」あることばをとったもので、孔子の住居がいかにも狭苦しいのを弟子が見
        てそのことを申したところ、孔子は
           君子居之何陋之有(君子が中に居るのだ何でむさいことがあろうか)
        といわれたということからきています。

       



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                               ● (入口へ) ●


   

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