(4)元三大師堂

             


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   ● 元三大師堂
        正暦2年(西暦953年)後の天台座主元三慈恵大師作の除災招福・商家繁栄・良縁成就・交通安
        全等厄除けの霊験あらたかな御尊像をまつるお堂です。
        厄除の由緒ある縁起ダルマ市は、毎年3月3・4日の両日にもようされます。

        


                  


                  


                  


   ○ 市重宝(彫刻)
        深大寺 慈恵大師坐像(一躯)
             所在 調布市深大寺元町5丁目15番地1  指定 平成7年2月23日
          本像は大師堂の本尊である。
          慈恵大師は、天台宗の僧・良源のおくり名で、元三大師とも呼ばれている。
          近世には元三大師がこの寺の信仰の中心で、明和2年(1765)と文化13年(1816)には、両国回
          向院で出開帳が行われた。
          本像は秘仏であり、こ開帳が行われるのは50年ごとである。
          最近では昭和59年(1984)に行われた。
          左手に独鈷(どっこ)を、右手に数珠を執る。
          材質・構造は木造・寄木造、仕上は彩色、像高は196.8cm。
          慈恵大師の肖像彫刻で、これほど大きな作品は例が少ない。
          大師の容貌魁偉な様相を巧みにとらえ、全国に数多い大師像のなかでも優れた作品といえる
          製作は、鎌倉時代後期から南北朝時代と推定される。 平成7年3月30日 調布市教育委員会

   ○ 市重宝(絵画)
        河鍋暁斎の天井画「竜」   指定年月日 昭和43年10月16日
          この画は、元三大師堂正面御拝の天井前面に描かれた竜の飛翔図で、暁斎が当地に足をと
          どめのこした作品である。
          竜の尾の先が横柱にかくれて見えないのは、建築時のあやまりともいわれています。
          暁斎は天保2年(1831)4月7日下総国葛飾郡古河に生まれ、嘉永5年暁斎洞耶(別号 狂斎)と
          号した。
          徳川末期から明治初期にかけて活躍した駿河台狩野派の正統をつぐ著名な画人で、その優
          れた作品は関東周辺各地にのこされている。
          明治22年(1889)4月25日没。年58。

   ○ 近藤勇と新撰組ゆかりの地 深大寺
          深大寺元三大師堂内天然理心流一門の奉納類
          元三大師堂内に掲げられた奉納額で日露戦争に出征した天然理心流五代近藤勇五郎の門
          人たちのために、明治40年3月3日に奉納されたものである。
          近藤勇五郎は、近藤勇の実兄音二郎の次男で勇の娘瓊子と結婚し、近藤家と天然理心流を
          継ぎました。     調布市観光協会

                  



                     


   ○ 賓頭蘆尊者(びんずるそんじゃ)
        おびんずるさんは、インドの僧侶で医学的にも大変すぐれたお力をもっていました。
        大勢の病人を救ったところから、悪いところをなでると「病気平癒」の霊験があると古くからいわれ
        ています。

                             


   ○ がんかけだるま
        瓦職人が焼き上げた希少な陶器のだるまです。
        深大寺では毎月3月3・4日、だるま市が開かれます

                             


                    



   ● (へ)林光雄(はやしみつお)歌碑
         この寺に 遊ぶ志者(しばし)しを 清(すが)や可尓(かに)
                    あら志免(しめ)むとや 梅さき澄免(すめ)る

                          


                          


   ● 白山社について
        江戸期の深大寺境内には十社に及ぶ小祠があり、当時の境内の景観を伝える「新編武蔵風土記
        稿」や「江戸名所図会」等の古い鳥瞰図を見ると、天満宮や稲  荷社・山王二十一社一棟などの
        お宮が存在していたことが窺えす。
        この白山社は、明治18年(八十世住職・浮岳堯欽代)再建の時に白山・稲荷・山王の三神を合社し
        たもので中央に白山権現(白山比盗_/はくさんひめしん)、左に稲荷大明神、右に山王権現(地主
        神)を祀っています。
        白山権現は別名、菊理大神媛(くくりひめのおおかみ)とも言われ「くくりひめ」の「くく」は物事を「くく
        る」意味で人と人とを結ぶ”縁結びの神様”として慕われてきました。
        稲荷大明神は”お稲荷さま”の名で親しまれ、穀物・農業の神として祀られ、時代の変化につれて
        商売の神や家を守る屋敷神として信仰されています。
        山王権現の由来は、伝教大師が比叡山の神である日吉大神(日吉大社)を天台宗の守護神として
        崇めたのが始まりで、中国の天台山国清寺(こくせいじ)に祀られていた地主神”山王元弼真君/さ
        んのうげんひつしんくん”になぞらえて日吉大神を”山王”権現と称しました。
        当時の木札には「3月18日再建」と書かれており、白山権現の本地仏である”十二面観音さま”の
        縁日にちなんだ再建でありました。

                  


                  


    * (右画像/供養塔)

                             



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                               ● (入口へ) ●

 

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