(3)本堂

            


     右画像・・(ほ)中村草田男の句碑 (に)高浜虚子の句碑 (と)皆吉爽雨の句碑 (ち)井澤正江の句碑


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   ● 本堂
        慶応の大火後、大正時代の再建です。
        本尊は、宝冠阿弥陀如来像で、天台宗の常行三昧堂の本尊であったという。

                      


                  


                         


                  


                           


                  


             


   ○ 市指定有形文化財(工芸品)
       深大寺釈迦如来倚像厨子及び関連仏具一式  附 入仏式次第書・奉献額
                 所在地 調布市深大寺元町5-15-1 深大寺  指定  平成28年3月30日
          本厨子は、大正2年(1913)に「旧国宝」に指定された釈迦如来倚像(白鳳仏)を安置するため、
          昭和7年、江戸料理「八百善」の8代目栗山善四郎と古美術商神通松次郎らが奉献した春日
          厨子でした。
          奈良の漆芸家吉田包春により制作され、厨子本体、厨子礼盤、仏像台座、仏像礼盤、前机、
          供物台からなります。
          厨子本体は総高150cm、木造漆塗りで、内部天井の中央に宝相華文、四隅に霊芝文が密陀
          絵技法によって描かれています。
          また、厨子礼盤の格座間内には鳳凰の密陀絵、仏像礼盤の格座間内には末金鏤技法による
          霊獣が描かれ、白鳳仏を安置するにふさわしい気品と峻厳さを備えた作品となっています。
          吉田包春(1878-1951)は、漆工・蒔絵・螺鈿・揆鏤などの技法を駆使して創作活動を続け、正
          倉院宝物の模造や皇室献上品をはじめ数多くの精巧で優美な作品を手がけた近代工芸界を
          代表する一人です。
          本厨子は、その意匠・技法・総合性のいずれの面でも高い芸術性を示し、包春の代表作とい
          えるものです。      平成29年3月31日  調布市教育委員会
   ○ 市指定有形文化財(彫刻)
       木造阿弥陀如来像
               所在地 深大寺元町5丁目15番地1 深大寺  指定  平成24年3月30日
          本堂須弥壇上に安置される妙観察智(みょうかんさっち)の阿弥陀如来で、恵心僧都(えしんそ
          うず)の作と伝えられています。
          像高73.7p、髻を結い、宝冠をいただき、衲衣(のうえ)で両肩を被い、定印を結ぶその姿は天
          台寺院で常行三昧行(じょうぎょうざんまいぎょう)を行う常行堂の本尊阿弥陀如来像に共通る
          ものです。
          そのひきしまった容姿や、細やかで写実的な衣文の表現、割引造りの技法などから、鎌倉時
          代前期に制作されたものと考えられます。
          像内には、室町時代の永享8年(1436)と享徳2年(1453)に修理が行われたことを記した墨書
          があります。
          永享8年の修理は、文集「私案妙」で知られる52世院主法印長辨によるもので、修理銘には
          「深大寺常行堂 阿弥陀如来」とあり、本像が当時常行堂本尊であったことを裏付けます。
                        平成24年11月30日  調布教育委員会

                         


   ● 石碑(「照干一隅此則国宝」 本堂左側)

                             


   ● 五大尊池

                         


   ● なんじゃもんじゃの木   学識名称 ヒトツバタゴ(モクセイ科)
        ○日本では長崎県対馬・岐阜県木曽川・愛知県などで主に自生しています。
        ○四月下旬より開花し、あたかも雪が降り積もったかのように真っ白な花が咲き乱れることから、
         スノーフラワーともいいます。
         散り際もまた美しく、くるくると回転するプロペラのように花びらが散っていきます。
        ○例年、ゴールデンウィークには満開を迎えます。
         深大寺では「なんじゅもんじゃ」を舞台に各種団体のコンサートを開催しています。
         主な出演団体は平成元年より東京消防庁音楽隊による「なんじゃもんじゃコンサート」です。
        ○かつては、その土地に自生している珍しい樹木や、一度も見たことがない摩訶不思議なものを
         「これはなんというものじゃ?」と尋ねたことから、「なんじゃもんじゃ」と呼ばれるようになったそう
         です。

                      


                  


          


   ● (ほ)中村草田男(なかむら くさたお) 句碑
           「萬緑の中や 吾子(あこ)の歯 生え初(そ)むる」 

                          


   ● (に)高浜虚子(たかはま きょし) 句碑
         「遠山に 日の當りたる 枯野哉」
            明治33年11月25日 虚子庵例会での作品 当時26歳

                          


                             


   ● 市指定有形民俗文化財(民俗)
        深大寺元三大師(がんざんだいし)参詣の道標
             所在地 深大寺元町5丁目15番地1 深大寺  指定 昭和62年3月31日
          この石碑は、常花講の人たちが、深大寺の元三大師堂への道しるべとして、甲州街道の滝坂
          (現仙川町2丁目4番地)に立てた道標です。
          正面には「厄除 御自作 元三大師 常花講」、右側面には「是ヨリ大師尊参詣道 石原宿迄
          五丁近」と刻まれ、背面と左側面の銘文からは、この道標が元禄16年(1703)に立てられ、文政
          3年(1820)に78世澄然(ちょうねん)により再建されたことが分かります。
          また、台石には深大寺村のほか、登戸、三田、麻布、赤羽などの住人の名が刻まれており、元
          三大師が近郷だけでなく、広く信仰を集めていたことがうかがえます。
          参詣者たちは、甲州街道からこの道標地点で北西に入り、現在の三鷹市境を経て、青渭神社
          前を通り、深大寺に詣でたもので、当時の古道は今でもたどることができます。
          道標は、昭和39年、東京オリンピック開催に伴う国道20号線(甲州街道)拡幅工事のため取り除
          かれましたが、往時の深大寺参詣の状況を知るうえで貴重な資料であることから、現在地に移
          されました。    平成28年3月31日  調布市教育委員会

                         


        師弟句碑
   ● (と)皆吉爽雨(みなよし そうう) 句碑
         「春惜しむ 深大寺そば 一すすり」

                  


   ● (ち)井澤正江(いざわ まさえ) 句碑
         「そのひ万(ま)の 空者(は)まぼろし 辛夷(こぶし)咲く」

                                      


   ● 池

                          


   ● 扇塚

                          



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                               ● (入口へ) ●

  

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